書籍・雑誌

October 19, 2009

『砂の器』をもう一度読む

 昨日・一昨日は一日の大半を運転に使って、さらに日常必要なことと運転して出かけた目的に使い、最後に残った時間を『砂の器』(上・下)(新潮文庫版)の読書にあて読み切った。一気に読み終わるなんて久しぶりのことだと思う。そういうことから考えれば魅力的な本なんだろう。

 40年以上前に読んだ本だけど「そうだ、こういう場面あったなあ」なんて思い出すところもあったが、ほとんど忘れていた。さらに、1974年に公開された映画の出来がよく、私はそちらのストーリーが『砂の器』だと記憶が書き換えられていたようだ。

 復習するような記述があって、原作は新聞小説であることは分かるが、1960年から1961年にかけて「読売新聞」に連載され、61年光文社つまりカッパノベルスから刊行されたようだ。その後、新潮文庫に受け継がれ、すでに100刷ということだ。

 新潮文庫の松本清張ものの中でも圧倒的な売れ行きで、すでに4364000部発行されているという。新聞・ノベルス・文庫を合わせると驚異的な数である。私のように古本で読んだ者や借りて読んだ者もいるはずだからその数は計り知れない。日本人の何分(一桁)の1かが読んでいると言っても過言ではない。映画の版権なども含めれば下世話な話だがこれ一冊で一生食っていける。

 映画のヒットにより原作を読んだ人やハンセン病について考えている人たちが読んだりすることもあったのだろう。ただしハンセン病については昔はそれをどうとらえていたか、家族はどういう扱いを受けたかという点で参考になる程度である。なにしろ50年も前の小説だ。

 読んでいてその頃の日活映画がチラチラしてならなかった。小説では「ヌーボー・グループ」という若い芸術家集団が出てきて「芸術論」を展開するが、日活映画でもそれに似たシーンがよくあった。そういう意味では極めて時代を反映していたと言えよう。私などその次の時代だが昔読んだときはそうではなかったが、今読むと強い違和感を感じてならない。すごく疲れるのである。

 この「ヌーボー・グループ」というのがいけない。外国語は全くだめな私だから信頼出来ない話だが、「ヌーボー」はフランス語、「グループ」は英語である。芸術論を語り、あらゆる事象に敏感な人たちが自らをそんな安っぽい言葉で表すだろうか。何度も出てくるこの「ヌーボー・グループ」も気になって仕方がなかった。

 この事件のキーワードは「東北弁」と「カメダ」である。さらに伊勢の映画館、被害者、殺人の動機などの謎が絡んでくる。これを本庁のベテラン刑事が所轄の若い刑事の協力の下、執拗に追いかけていく。この謎解きがおもしろい。その執念がすごいのである。このおもしろさが多くの読者を獲得した要因なのだろう。

 ただ、あの松本清張にして、というところが目立つ作品でもある。犯人に関係していると思われる女性が二人、自殺・殺人という形で死ぬのだが、一人は刑事の極近くのアパ-トの住人、もう一人は刑事の妹の経営するアパートの住人なのである。しかも二人とも最初の事件後に引っ越してきたのである。これではご都合主義のそしりは免れまい。

 まあ最近はテレビで年中殺人事件が起きている旅館とか行く先々で待っていたように事件が起きるとかそんなものばかりのドラマが多いことからすれば、許してもいいかな、なんてことも考えるが。

 そして最後に延々と謎解きの解説を刑事がすることになる。ここら辺もあまりおもしろいとは言えない。一度映画を観てしまっているので、弱いところを補完して読み進めてしまっているような気もする。やはり犯人の人間描写が弱いなあ。

 ということで、再読の記でした。

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October 06, 2009

『砂の器』

 朝日新聞の図書欄に紙上読書会のコーナーがある。テーマの本について読者が意見・感想を投函するのである。一昨日から『砂の器』になった。

 『砂の器』は松本清張の代表作の一つといっていい作品で、映画化もされている。

 私が読んだのは40年以上前の学生時代で、松本清張の作品の中で『ゼロの焦点』、『点と線』とこれのどれかが一番最初に読んだものだ。そして、清張に溺れていく。

 それまでは日本の推理小説にはほとんど興味がなく、読むのはほとんど外国のものだった。日本の文学は読んでいたが推理小説には見向きもしなかった。

 少し前に書いた『忍者武芸帳』を教えてくれた友人と話していて、彼が「『砂の器』の証拠を消すところがすごい」と熱弁をふるったので、早速読み始めたのが『砂の器』を読むきっかけだ。

 私が偶然『ゼロの焦点』か『点と線』を読んで、清張について話し始めたような気もするので、最初がどれかは定かでない。

 当時、松本清張のこの種の本はほとんだ「カッパノベルス」で出版されていた。私が買うのははだいたい古本屋だ。何度も何度も読むような本ではないし、人気もあったから古本屋には必ずあった。当時古本屋できれいなものは定価のおよそ3分の2の値段買えた。読み終わった本はまた古本屋に買い取ってもらう。清張の本はおよそ定価の3分の1の値がついた。結局価格の3分の1で読めるわけである。勉強の本も買わなくちゃあならないから、この種の本に浪費するわけにはいかないのである。

 前記三つの本に始まりこの方法でずいぶん清張の推理小説は読んだ。勤めてからは余裕が出来たので古本屋にいくことはなくなったが、清張の歴史物、評論、随筆などを除いて、推理小説・時代小説は全て読んでいると思う。ただどれがどれだか分からなくなっていることも事実である。

 清張のテレビドラマされる(題名に「松本清張の『・・・・・』」となることはご存じの通り)ことも多いが、映画化もされている。最近も新聞にDVDの広告が出ていた。欲しい気持ちも少しわいたが、TSUTAYAでも借りられるのでスルー。もしかして松本清張に最初に触れたのは、作者は意識していなかったが映画かもしれない。『張り込み』である。

 映画『砂の器』は本当にすごい映画だった。映像が実に美しかった。『宿命』という音楽もすごかった。もうプレーヤー機能しないので聴くことはないレコードだが、サウンドトラック盤のLPも持っている。清張ものの中でもベストの映画にあげる人も多いだろう。もう一度観たら泣いちゃうだろうな。最近我慢できなくなってるから。

 先のDVDのリストを「怖い」映画ばかりで、他のもすごいのばかりだ。『張り込み』だってもう何回も観た。

 松本清張は推理小説界の手塚治虫で日本の推理小説を全く変えてしまった。映画になって長く残るのもそれだけしっかりと社会的背景やそれから生まれる動機、構成が骨太でしっかりしているからである。事件のための事件でないからである。

 最近藤沢周平を読み返しているが新しい発見があっておもしろい。紙上読書会を読んで、『砂の器』をもう一度読みたくなった。前述の理由でもう本は所有していないで手に入れるしかないが。 

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 予想通りというか、予知能力があるというか(冗談です)、巨大台風が近づいている。18号は10年に一度というような台風のようだ。昨夜段階では、中心気圧910hpa、中心付近の最大風速80m/s。戦後の名前付きの台風にも匹敵する強さだ。今後弱まる方向に向かうことは確かだが、極めて素直なコースを取っているので、意外に日本最接近、最悪上陸までの時間が短く、あまり弱まらないかもしれない。木・金・土あたりが要注意である。 

 あああ、今週は出かける予定がいっぱいあったんだよ。特に金曜日は期待していたのに。今年でもっともひどい週になりそう。雨で中止なら仕方がないが、3日は雨中でも出かける必要がある。

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 昭和公園の「コスモス」が見頃だそうだ。コスモスは車だったら「砂川口」ですよ。駐車場は狭いけど止められるでしょう。

 来週はもうだめかな。

                 (01:00)

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September 24, 2009

『忍者武芸帳』

 漫画・コミックというものにはほとんど興味はない。特に最近のロボットや近未来の戦争をあつかったものには目もくれないが、白土三平とか手塚治虫の一部、雑誌『ガロ』に載ったようなものは読む機会があれば読んでいた。

 特に白土三平の一連の作品には興味がある。ただ、リアルタイムでは金銭的(当時食べるのがやっとで漫画本を買う銭(かね)があれば飯に化けるか他の書籍を買っていた)に無理で部分的にしか読んでいない。でも、いずれ機会があったらすべて読み通してみたいという思いは続いていた。

 数年前、『カムイ伝』全35巻が小学館から刊行され、読み終えた。これで思いはひとまず達成されたと一応の満足はしていたのだが、今度その前の作品『忍者武芸帳』全17巻が刊行されることを知り居ても立ってもいられなくなってしまった。

 行きつけの本屋に午後注文に行ったのに次の日(昨日のこと)の午前中にはもう入荷したとの連絡があった。そして読み始めている。『カムイ伝』の時と違い読む時間に制約がないので、まだ途中である。ゆっくりゆっくり楽しむことにしている。

 白土三平の漫画に登場する人物の顔やその表情はその後の一連の劇画といわれるものに比べたらかなり類型的でいわゆる漫画の流れを色濃く残しているように思えるが、その舞台設定や背景、コマ割りなどは新しいものだったように思う。特に動物の描写は見事というほかない。

 特に全体に流れる反体制的な思想は当時の若者の絶大な支持を受けた。『忍者武芸帳』はまだよく分からないが、『カムイ伝』とその関連の作品は当時の若者の「社会科学」「歴史学」の入門書でもあった(あるいは、そう思い込んでいた)のだ。

 還暦を過ぎたいま、いまさらそんな意味で読もうとするつもりは毛頭ないが、若い頃に手にすることが出来なかったものをなんなく手にし、恥も外聞も脱ぎ捨てて楽しめるというのは一種「感慨」といってもいい心境である。

 『カムイ外伝』についてはその全体像がまだ私にはよく分かっていない(部分としては発行時に読んだものもある)。雑誌連載やら単行本やらいろいろあるらしい。すべて網羅した全集でも出たのならともかく1冊ずつ探し求めるほどの熱意はない。そして膨大な量だから、もし月2冊としても何年かかるのだろう、その頃の私はとても読む元気はないにちがいない。

 ※漫画は読むものか見るものか分からないが少なくとも白土作品は読むものと勝手に位置づけている。

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 いつも不思議に思うのが、注文した本が届く期間のことである。行きつけの本屋はチェーン店を構成している10店くらいの1店である。今回のように翌日には届くこともあるが、2週間も待たされることもある。すぐ届くのは系列店にあったのかもしれない。遅くなるのは取次店とか出版社とかの関係もあるのだろう、流通の不可解さをいつも感じる。

 もう仕事はしていないのでその種の本を頼むことはないが、それでもかなり注文はする。しかも特にこういうシリーズものは注文しておかないとだんだん店頭で手に入れられなくなるので注文するほかない。

 すぐにほしい、絶対欲しい本は都心にでてでも買うので、町の本屋に注文するのは緊急を要しない重要度では2、3番目に位置するものである。気がますます短くなってきた私だから、あんまり待たされると興味も次第に薄れていくので困るのである。

 最近はネットでの書籍購入が普通に行われるようだが、本だけはネットで買う気がしない。あなたが注文した本とか、あなたがチェックした本とか、お薦めの本とか、この本を注文した人はこんな本も読んでいますとか、余計なお世話だ。

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September 23, 2009

『ファーブル昆虫記』第7巻(上・下)をやっと手に入れる

 数日前のこと、18日に一斉に発行されたカメラ雑誌をのぞきに本屋に出かけた。どのカメラ雑誌もEOS7Dの話題で一色。私が大金持ちだったらCANONとNikonの2マウント体制にするのだがそうはとてもいかない。TOTOや宝くじで大当たりしたらいいのだが、そういうものはしないと決め、買わないのだから当たるわけがない。Nikonは何を考えているのだろうか。

 雑誌をひと当たりして、文芸書のコーナーに行ったら、この『完訳ファーブル昆虫記』がパッと目に入ってきた。早速購入。

 いや、下巻が発行されたことは新聞の広告で知っていたので一応注意はしていたことではいたが、まさかいつもの本屋にあるとは思っていなかった。

 この集英社版『完訳ファーブル昆虫記』はすごい本なのである。

 そんなにめちゃくちゃ昆虫に興味があるわけでなく、ごく一般の庶民と比べたら多少知識がある程度、昆虫好きの子どもと比べたらとても追いつけない、そんな私だがなぜか『ファーブル昆虫記』だけは読み通したい、完読したいという妙なこだわりがずっとあるのである。

 何十年も前、岩波文庫版『ファーブル昆虫記』全20巻を買い込んだ。ところが拾い読みしただけで挫折。次に文庫を箱入り上製本にした岩波『ファーブル昆虫記』全10巻を購入して再挑戦。前回よりましだったが、やはり挫折。

 次から次へと現れる昆虫の姿形が分からないのである。昆虫図鑑がないわけではないが、いちいち調べるという手間はあまりに面倒である。さらにファーブルの住むフランスには棲息していて日本にいない種も多いときている。何しろ昆虫の種数は何百万なのだ。

 上製本を購入した時点で文庫版は廃棄したと思うが、それでもいつかと書棚を埋めているだけの『ファーブル昆虫記』であった。

 そんな中、奥本大三郎氏が集英社から『ジュニア版ファーブル昆虫記』を出版した。これも全巻購入。非常にわかりやすいのである。そしてその中で完訳版の準備をしている旨の予告があった。

 数年前、集英社版奥本大三郎訳『完訳ファーブル昆虫記』の刊行が開始されたのを知り、第一巻上を手に入れる。

 主だった昆虫(甲虫が中心)は写真・図版・解説が付き、他に登場する昆虫も図版や短い解説付きである。また実験観察の様子も図入りで説明され、生態にも図付きで説明されている。こんな『ファーブル昆虫記』世界にあるだろうか。一部の紹介ならいざ知らず「完訳」である。

 ファーブルが観察に夢中になった村々の現在の様子も写真付きで紹介されるというおまけまでついている。
 
 訳者の奥本大三郎氏は、東大仏文を出て、大学院を修了し、現在は埼玉大教授、一方、小さい頃から昆虫に親しみ、ファーブルを敬愛し、『虫の宇宙誌』などの著作もあり、現在「日本昆虫協会」会長。こんなに訳者としてふさわしい人は他にいるだろうか。フランス文学と昆虫学、そして日本語がひとりの中で高度に合体融合している人など世界中探してもそうそういるものではないだろう。『昆虫記』翻訳のために生まれてきたような人なのである。

 この『完訳ファーブル昆虫記』はいま世界最高峰の『昆虫記』といえる。まさに原書をしのぐ『昆虫記』なのである。

 だが5巻までは2ヶ月ごとにコンスタントに刊行されていたが、6巻以降はその間隔が広くなってきた。7巻上などはいつまでも刊行されず、本屋で調べてもらったりもした。そのうち趣味の写真の方が忙しくなり、ままよとほっておいたらいつの間にか刊行されてもいた。

 どうも連載中の雑誌との関係もあるのだろう、刊行は半年に一冊のようである。これでは全10巻20冊が刊行し終わるのは3年後ということになってしまう。それまで自分が生きていられるのかどうかの方が気にかかりだした。

 いずれにせよこの『完訳ファーブル昆虫記』はベストの『昆虫記』であることは間違いない。ゆっくり楽しもうとおおように構えていくことにする。

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 ダーウィンの映画が出来たが、アメリカでは上映できないらしい。アメリカでは「創造説」が優位で「進化論」を否定する傾向が強い。ファーブルはダーウィンと交流があったらしいが、「進化論」を認めていない。

 ヨーロッパ・アメリカでの宗教の影響が我々にとって想像を絶するものであることはこんなところからも察せられる。

 日本人はそれが真実だろうなと思えるとサッと「宗旨替え」(宗教を言っているのではない。それもあるが)できる国民のようである。対応力があるといっていいかもしれない。いいところであるとともに、困るところでもある。
  
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 白土三平の『忍者武芸帳』を急ぎ予約注文してきた。前回の『カムイ伝』は届くと読み終わるまで我慢できず、仕事に影響が出そうではしょって読み進めたが、今回は365連休中の身、時間をかけて読めるのがうれしい。

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 連日のように「新型インフルエンザ」による死亡者発生のニュースが流れてくる。「季節型のインフルエンザ」でも死亡者は多く発生しているはずだが、今度のインフルエンザの方が多いのか少ないのか比較するような報道がない。

 街に出ての感想は「ずいぶん無防備だな」というものだったが、反面、そんなに危険を煽る必要もないのか、という気持ちもある。

 実際はどうなのかもっと情報を増やす必要はあるだろう。政府の対応のまずさもあって、ワクチンが間に合いそうもない。接種が開始される頃は秋も深まって寒さも増し、流行はいっそう進んでいるだろうから、騒動なども発生するのではないかと無用かと思われる心配までしている。それを防ぐのは的確な「情報」である。

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July 31, 2009

『臓器農場』

 先の国会で「臓器移植」に関する法律が改正され、「脳死が人間の死」であることと、「15歳以下の臓器提供」ができるようになった。人間の生死という倫理上の問題として各党、党議拘束をかけないで裁決されたのである。だが時期尚早、もっと広く意見を求めるべきという考えの政党もあった。各国で外国人への臓器提供を規制する動くが大きくなってきたきたこともあり、それが法律改正の動きを早めたのであろう。

 ただ、正直私には分からないことだらけである。というより本当に国民的合意が出来ているのだろうかという疑問がある。

 そんなこともあって、最近関心を深めている箒木蓬生の『臓器農場』(新潮文庫)を読んだ。農場であるから、栽培する、飼育するということであろう。臓器をだから飼育する、となるわけだが、それはどういうことかなどと思いながら、ページをめくっていった。

 (彼の作品はとても難しいこともとても平易に書かれていて読みやすくつい一気に読んでしまいたくなるの状況によっては実に困りものだ。その日も朝5時には起床して撮影に出かける予定があったのだが、結局2時に読み終わるまで起きてしまった。撮影の疲れたこと疲れたこと。)

 看護婦(作品が出来た当時まだ「師」ではなかった)になったばかり20歳の女性「天岸規子」とその友人で同じ病院の看護婦となった「志木優子」、そこの医師「的場」の三人が、臓器移植に関する病院の暗黒部分を暴いていく「医療ヒューマンサスペンス小説」。

 サスペンス小説というわけではないだろうが、二つの「殺人事件」が発生するが、小説そのものが「臓器移植」という人間の生死そのものを扱ったものであり、ついそちらの方に関心がいってしまう。殺人という重大事件にもかかわらず単なるエピソード的取り扱いのように思えてしまうのである。あまりにも無謀であっけない死である。

 サスペンスとしてはやや物足りなさがあるが、臓器を提供する、されるということについての理解をかなり深めることができた。作者はどうも「脳死は人の死」という考え方には反対のようである。

 「無脳症児」という存在がこの小説の根底を貫いているのだが、登場人物の一人藤野茂(彼も「生きる」を表現するキーパーソンであり少し超人的過ぎるのだが)に「無脳症児も人間です」と言わしめている。

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 昼頃のワイドショウを見ていたところ、新聞の後追いコーナーの中で、ある議員のスキャンダル暴露記事を放送していた。もしこれが事実でないとしたら、放送局はどういう責任をとるのだろうと思った。新聞記事を紹介しただけでは済まされないだろう。民間放送もジャーナリズムの一翼を担っているという自負があるとしたら、例え後追いとしても事実確認の必要はあるだろう。新聞は買わなくちゃあ読めないけど、テレビは強制的に垂れ流される。次のプログラムを観ようとしていて電源を入れていることもあるのである。

 それにしても、民放ワイドショウ最近2世タレントの話題に忙しい。一方新聞では親の収入が子どもの大学進学率に大きく影響しているとの東大の研究調査が紹介されていた。

 格差社会という言葉で物事を見ていくと、世襲議員も2世タレントの特別扱いもこの調査も最近多い親殺し子殺しも底辺に何か共通のものがあるように思われる。

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July 26, 2009

『閉鎖病棟』

『閉鎖病棟』を一気に読んだ。(帚木 蓬生 1994 新潮文庫)

 精神科の病院を舞台に繰り広げられる人間物語。最初の数章を読んで、あれこれは短編集かなと錯覚してしまった。作者帚木蓬生はほとんど短編を書かないと聞いていたのに。もちろんそうでなかった。その数章に時代を隔てて登場した人物が病院で心を通わせながら、自分の道を歩んでいく。

 作者は精神科の医師でおよそ1年に一冊小説を発表し続けている。先日「ラジオ深夜便」の「こころの時代」でインタビューがあって興味を持った。『逃亡』などすでに読んでいるが、かなり前のことであり、特に関心のある作家ではなかったが、そのインタビューで作者の人柄に感動し、精神科医療というものに関心が湧いたのである。

 作品に登場する病院の患者は様々な前歴を持っている。30年そこで暮らしている「チュウさん」の目を通して物語は語られていくが作者が精神科の医師ということで単なる取材以上の具体性が感じられる。

 前歴は様々であるがそこに生きている人たちは精一杯生きていて引き込まれる。こういう病気や病院への偏見が霧消していく。

 『閉鎖病棟』の閉鎖とは病院の格子ではなく、彼ら患者をとりまく人間たちの偏見によって閉ざされているという意味であろう。私自身そういうことには全く無頓着に過ごしてきたと知ることができた。全く別世界のこととしてしか感得てこなかった。

 最近様々なおぞましい事件が発生し、犯人逮捕後よく精神鑑定が話題になるが、それらについても少し違った視点から見ることが出来るかも知れないと思う。

 すでに多くの方が読んでいると思うが精神科の医師のみならず、多くの医師や看護師、あるいは教師やこの夏いよいよ始まる裁判員の関係者などにお薦めする。特に若い教師には是非読んでほしい本である。こういう視点も必要であると思うのである。

 ちなみに『閉鎖病棟』は山本周五郎賞を受賞している。引き続き何冊かこの作者の作品を読もうと思っている。特に最新版の「短編集」がすばらしいという話を聞いた。

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June 30, 2009

やっておきたいこと(2)読書計画

 さて、続き。

 「科学本」の担当は池内了。彼の写真が載っているがいかにも科学本を読み漁っておられるお顔である。天文学・宇宙物理学者であるが、彼自身科学啓蒙的著作も多くこのジャンルを担当するにふさわしい人選。私は理解しているかそうではないかはともかくこのジャンルにもっとも興味がある。

 紹介されている本はいずれも(読んでいないのは知らないが)最近出版されたものであるようだ。

 『生命40億年全史』(リチャード・フォーティ)草思社、既読、絶対おもしろい。三部作の中でも一番。
 『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイヤモンド)草思社、購入したが未読。
 『ヤモリの指』(ピーター・フォーブス)早川書房、既読、科学技術の先端が分かる。
 『フェルマーの定理』(サイモン・シン)新潮文庫、既読、引き込まれた。
 『原子爆弾の誕生』(リチャード・ローズ)紀伊國屋書店、未読。
 『飛び道具の人類史』(アルフレッド・W.クロスビー)紀伊国屋書店、未読。
 『寺田寅彦随筆集』(寺田寅彦)岩波文庫、全部は読んでないなあ。「青空文庫」でも読める。以前古本屋で10巻くらいのを見たが。
 『沈黙の春』(レイチェル・カーソン)新潮文庫、既読、ずいぶん前の話。
 『DNA』(ジェームス・D.ワトソン、アンドリュー・ベリー)講談社、未読。
 『生命の未来』(エドワード・D.ウィルソン)角川書店、他の本(『生命の多様性』)は読んだがこれは未読だと思う。
 『ワンダフル・ライフ』(スティーヴン・J.グールド)角川NF文庫、既読、おもしろいが内容に批判はあるようだ。
 『文明崩壊』(ジャレド・ダイヤモンド)草思社、既読、発見が多い。
 『「数」の日本史』(伊藤宗行)日経ビジネス文庫、未読、すぐ手に入りそうだ。
 『数の悪魔』(エンテェンスベルガー)晶文社、未読。
 『世界でもっとも美しい10の科学実験』(ロバート・P.クリース)日経BP社、未読?類似の本はいくつも持っているので、どこかに埋まっていそう。
 『人はなぜエセ科学に騙されるか』(カール・セーガン)新潮文庫、既読、ちょっと・・・?
 『ロバート・オッペンハイマー』(藤永茂)朝日選書、未読。
 『対称性』(レオン・レーダーマン、クリストファー・ヒル)白揚社、未読。
 『物理学はいかに創られたか』(アインシュタイン、インフェルト)岩波新書、既読、もうずいぶん昔のこと。
 『宇宙を織りなすもの』(ブライアン・グリーン)草思社、未読。

 すでに読んだの本はおよそ半分くらいか。フォーティ、シン、グールドらの本は分かりやすくおもしろいので発行されればすぐ手に入れている。私の読誦傾向に近くこれは参考になる。

 とりあえず次は『宇宙を織りなすもの』、『「数」の日本史』あたりを購入することにしようと思う。『「数」の日本史』は近くの本屋にあったように思うが。

 こういう類の私の生活に直接なんにも役立つことのない書籍に惹かれるのは人間のいまが感じ取れるからだ。多分この読書傾向はずっと続くだろう。

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 いやはや何ということだろう。わずか10ヶ月前、大騒ぎして選出した首相を引きずりおろし、新しい総裁で選挙をやるんだそうだ。そんなニュースが入ってきた。取っ替え引っ替え外見を変え、カメレオン政府と言ってもいい。横須賀市長選がとどめを刺したか。そんなことはないと思うが、党内が分裂して新しい総裁を選出しても首班指名で選ばれないかもしれないよ。3分の2もあったらそこまではしないと思うし、我が身第一だからまず保身に走るだろうけど。

 それにしても、人も見られない、世の動きも見られないでよくこの複雑な世の中で政治を進めてきたものだ。

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June 20, 2009

『レイテ戦記』を読み始める

 大岡昇平の『レイテ戦記』を読み始める。(文春文庫 上・中・下)

 先日NHKで大岡昇平がなぜ『レイテ戦記』を書き始めたかの特集番組をしていた。己の戦争体験・戦死した仲間の鎮魂のため史実を克明に表現したもののように感じ取れた。

 いわゆる戦争、特に第二次世界大戦に関わる文学はかなり読んでいるはずの私であるが『レイテ戦記』はなぜか読んでいなかった。もちろん知ってはいたがようするに取っつきにくかったのである。

 戦争文学を読むからといって私は戦争が好きなわけではない。全く逆である。私は戦後生まれだから戦争というものを直接体験していない。両親がどちらも海軍関係だったから戦争の話は小さい頃よく聞かされていた。ここではとても書けないような酷い話も聞いた。

 自ずと戦争とはいかなるものかという思いが湧いてくる。その一つの迫り方が戦争文学である。これからはもう無理であるとおもうが、これまでに書かれた多くの文学は作者の実体験が底流にありその体験を裏付ける形で書かれたものが多い。

 だから観念的でなく、戦争の実相がよく分かる。戦争の愚かさを知るための読書である。

 一気に読み終えるような体力・気力はもうないので時間がかかるがなんとか読み終えたいと思う。

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June 09, 2009

『13階段』

 裁判は裁判官、検事、弁護士によって行われる。この3者は正三角形の頂点に位置しているように思われているが実際は裁判官と検事の辺は極めて短く、99.8%の有罪率がそれをしめしている。つまり起訴された段階でほぼ有罪は確定されていると言っていい。だから弁護士の仕事は量刑を如何に減じるかに集中される。

 裁判官はその有罪率によって有罪か無罪かの判断に関心が薄くなっているらしく有罪を前提に裁判は進められているように憶測される。だから足利事件のようにDNA鑑定がその証拠能力が極めて低いことに疑問を持つことなく裁判が進められていく。地方、高等、最高の3段階の裁判所がその極めて低い証拠能力の「証拠」を全く信じ切って判決を下していることに驚いてしまう。

 困ったことにそのDNA鑑定の証拠で数百の判決が下され、中には死刑が執行されてしまったものがあるのだそうだ。「本当にこれは確かなことだろうか」という素朴な疑問が存在し得ないところが裁判所のようなのである。

 この状態にメスを入れるのが「裁判員制度」なのだという。その趣旨が生かされる裁判が育っていくことを願ってやまない。

 『13階段』(髙野和明、講談社文庫)はこの時期、読んで損しない小説である。主人公は刑務官、昔風に言えば看守。もう一人過失致死で服役し仮釈放された青年。二人が死刑執行が間近に迫った死刑囚の冤罪を暴いていく。

 日本ではそう作られていないそうであるが13階段というと一般的に死刑台を意味している。さらにこの小説では別の意味をかけて作られている。死刑執行に至るまでには13段階の手続きが必要なのだそうだ。ようするにそれだけのハンコが必要だということだ。最後はもちろん法務大臣である。執行命令書が次第に法務大臣に近付いていくサスペンスが底流に流れて物語は語られていく。

 主人公の一人、刑務官は過去に2度死刑執行に携わっている。この小説で改めて考えさせらことがこの「死刑は人によって行われる」ということである。このことに戦慄を覚えた。トム・ハンクスの映画でも扱われていたが、ニュースで「死刑が執行された」と短く流される背景にこのことがあるのである。固定的ではないようだが死刑執行人と言ってもいい普通の公務員である人間が存在するのだ。

 小説ではその過程が丁寧に書かれていて背筋が寒くなってくる。「死刑」を声高に叫ぶ人がいるが、それを執行するのは普通の人間であることにも思考を広げてほしい気持ちがしてきた。

 刑務官はその贖罪の意味もあって行動を起こしていく。読み始めて「あれ?」という既視感に似たものがあった。テレビの2時間ドラマで見たような気がしたのである。解説によると映画化はされたようであるがその時期映画はほとんど観ていないし、題名にも覚えがないので既視感のもとは映画ではない。何だったんだろう。テレビでもドラマかされたのであろうか。

  そんなことはあったとしてもこの小説はおもしろい。読んでいる間は疲れや眠気など吹っ飛んでしまう。おかげで正常化しつつあった生活リズムがまた狂ってしまった。後が大変である。金曜日は予定があるし、土曜日には朝一番のバスで出かけなければならない。困った。一回どこかで睡眠を抜いて辻褄合わせをしなくてはならなくなった。

 因みに『13階段』は第47回江戸川乱歩賞を受賞している。受賞のいきさつを宮部みゆきが解説でふれている。

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May 05, 2009

『終着駅』

  忌野清志郎が亡くなった。忌野清志郎が歌い始めた頃はあまり好きになれず、私とは別の世界の人だと考えていたのだが、その詩を味わったり、生き方を知ったりするうちにだいぶ近付いて距離が短くなっていっていたので早すぎる死は残念でならない。


 さて今日は『終着駅』(白川道、新潮文庫版)

 これを読もうと買ったものではなく、小さな本屋で偶然手に取ったものであるが、もう夢中になって最後まで一気に読み終えてしまった。

 こういうシチュエーションの話ではハッピーエンドで終わるわけはないのであるが、こればかりはなんとかうまくいってほしいと願いながら最後が気になって気になって仕方なく途中で終えることはできなかった。

 こういう小説のジャンルは何というのか知らないが、一種のハードボイルドであろう。でも中身は「大人の純愛物語」である。

 主人公は東京に本拠をおく広域暴力団の幹部、小さいながら一家をなす。若い頃、父と恋人を死なせたという自棄の念からやくざに身を落とす。生きることに執着せずいつ死んでもいいという生き方をしていて「死に神」と渾名されている。50間近、かっての恋人に似た盲目の女性と知り合い、やくざの足を洗い生きていこうとする。

 その女性のひたむきさ、清らかさが何とも心を引く。だが、その失明の原因と両親死、かっての友達であり恋人の弟の妻と娘の命を奪ったのが彼の所属している組織と関係があったりで物語は複雑に展開していく。

 惹かれた要素の一つに小説の中に出てくる八木重吉の詩。彼の詩には私が若い頃の一時期夢中になったものだ。その詩が実に効果的に配置されている。

 いつ死んでもいいと思っているうちは死ぬことができず、生への望みができた時・・・・・・。悲しい結末であった。でも小説ではこうならないと感動は半減してしまうし・・・・・ね。

 私は絶賛する。 

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April 26, 2009

『ねじまき鳥クロニクル』

 『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹著 新潮文庫版)
 第1部 泥棒かささぎ編  第2部 予言する鳥編  第3部 鳥刺し男編 の三部作 都合1200頁?

 以前「壁と卵」のことを書いた時、村上春樹の本はどうも取っつきにくく読んでないので、一冊くらい読んでおかなくては思っているとしたが、一応その目的は達した。

 寝る前布団の中で眠りつくまでの時間、今日は一章、今日は二章と読み継いで約ひと月、久しぶりに何にも予定のない日曜日の今日、残りを一気に読み終えて最後の章までいって、やっと読み終えた。

 全くお疲れ様である。もう少し若い頃ならこういう話を興味深く読んだろうが、この歳になると何が何だか分からないものばかりだ。プロットの転換について行けない。それぞれが脈絡無く並べられているようにしか思えない。こういう文学って何だろうね。

 最近の映画やテレビドラマでもこういうの多いでしょう。私はそういうのをハナから見ないのでそうだろうとしか言えないがたぶんそうだろう。

 こういう本もこれはもうと放り投げるのだが最後まで読ませてしまうあたりは村上春樹の筆力のせいか。

 ノモンハンやシベリア抑留の話が延々と書かれているが、こういうのが岡田という主人公とどうつながるのかとか妻クミコと兄の関係とかすっきりしないところばかりである。

 時代小説とか推理小説ばかり読んでいる人間には場違いな本かな。どう見ても私は直木賞派で芥川賞派でない。

 でもこれだけでは村上春樹を誤解してあの世にいってしまいかねないので、もう一冊くらいがんばってみよう。

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April 08, 2009

『臨場』

 『臨場』(横山秀夫・光文社文庫)

 来週から、内野聖陽主演で『臨場』がテレビドラマ化されるということ聞いて、原作を読んでみた。

 横山秀夫は警察小説を書かせたら、現在本邦一といえる作家であり、多くのテレビドラマの原作になっている。それを、内野聖陽という魅力的な俳優によって映像化されるというのだから興味津々である。

 ただ原作を読んで私がイメージした主人公の倉石警視と内野聖陽とにはずいぶん差があるのである。痩せていてというところや自由奔放、権威や地位をなんとも思わない無頼のところはぴったりだと思うが、年齢は54才、署長に推される位置にあったり、警視という身分などはどうもそぐわない。

 原作では卓越した鑑識眼で事件を次から次へと解決していくのだが、内野には這いずり回っていくのが似合う。原作の事件そのものはドラマとしておもしろいのだが、主人公が常に登場しているわけでなく、その周辺の描写が丁寧に描かれている。

 実際のドラマの中身はまだよく分からないが、脚本家の腕の見せ所といったことになりそうである。その意味でも期待するものは多い。さてどんなドラマになるのだろうか。

 それにしても最近検死官とか鑑識係とか科学捜査とかのドラマが目白押しである。そういうのが大好きな私としては結構なことである。

 放映が開始されたら感想を書きたい。

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March 18, 2009

創刊50周年だそうです

 『少年マガジン』『少年サンデー』が創刊50周年だそうです。創刊は私が小学校高学年の頃ですね。多分、6年の時だったように思います。その後、枕の代用になりそうな厚さのマンガ雑誌になっていき、対象も青年向きになっていきましたが、初めは薄く、マンガの比率もそれほどでありませんでした。

 学生が『巨人の星』や『あしたのジョー』に夢中になったのも私たちの世代ですから、最初の読者がそのまま大きくなり、それに合わせて対象を上げていったとも言えます。遅れて『少年チャンピオン』というのも発刊されたと思いますがまだ続いているのでしょうか。

 創刊当時は40円だったそうですが、それでも子どもが買うには高いものでした。病気になって寝ている時退屈しのぎに買ってきてくれたのが初めて『少年マガジン』を自分のものとした経験です。母親がマンガ嫌いでしたから、それでも大サービスでした。私ははじめのうちは興味がありましたが小説の方に関心が移り、はやばや卒業してしまいました。

 そんなわけで、BSなどで大騒ぎするほど私はマンガやアニメを評価していません。マンガと今の世相の相関関係をきちんと評価する人が現れることを期待しています。

 とは言っても、病院の待合室で『ビッグコミックオリジナル』があると手を伸ばして見てしまいます。『黄昏流星群』と『釣りバカ日誌』が好きです。たまたま手にして知りました。自分では買いませんが。他のは全く知りませんね。

 でも創刊時興味を持った一読者として50周年を祝福します。

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March 11, 2009

『宇宙創成』(上・下)

 『宇宙創成』(上・下)を読んだ。著者はサイモン・シン(青木薫訳)、新潮文庫版である。

 サイモン・シンの著書はすでに『フェルマーの最終定理』『暗号解読』が翻訳され出版されている。順序は逆になったがいずれも読んだ。三冊目である。原題は『Big Banb』。前二作は数学(数論)に関するものだが、今作は天文学、宇宙物理学、もちろん数学もおおいに関係してくる。

 いずれの著作も感心するのは彼(訳者を含めて)の筆力である。最後まで飽きさせることなくぐんぐん読ませてしまう。ビッグバンには関心があり、何冊か読んだが、私の想像力がとても追いつけるものでなく、モヤっとした気分のままにあきらめてしまっていた。だがこの本を読み終わった今、理解したとはとても言い切れないが、ずいぶんすっきりしたように思う。

 この本は決して「ビッグバン」の解説書ではない。宇宙の有り様と宇宙の始まり(宇宙論)の解明に奮闘する科学者の歴史である。

 構成は次の通り

 第Ⅰ章 はじめに神は・・・・・・
 第Ⅱ章 宇宙の理論
 第Ⅲ章 大論争
 第Ⅳ章 宇宙論の一匹狼たち
 第Ⅴ章 パラダイム・シフト

 宇宙の始まりの神話からビッグバン論勝利に至るまでの壮大な科学史である。第Ⅲ章までは登場する面々はいずれも教科書に登場する有名な科学者だからなるほどなるほどと読んでいくことができる。
 
 ところが、第Ⅳ章からは原子物理学の領域に入ってくる。いつも立ち止まってしまうところだ。だが、著者は無理矢理深入りしていくことを避け、何を解明したら理論を証明できるかを先に立て、それへの科学者の追究の過程を科学者の生々しいエピソードを交えながら記録していく。

 要するに理論を説明するのではなく、科学者が用いる科学の方法を書いているのである。いかめしい科学者の顔写真とその人のエピソードを対比するだけでも楽しくなってくる。

 理系に進もうとする若い人にとってすばらしい「科学入門」書である。もちろん私のような科学とは無縁の生活を送っているものにとっても楽しい読み物である。

 サイモン・シンの次の著作は「医療」についてのものらしい。楽しみに待っていよう。

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February 19, 2009

「火天の城」

 「火天の城」(山本兼一・文春文庫)

 安土城建築にその生涯の最後をかけた大工、岡部又右衛門とその子以俊の物語。織田信長との桶狭間の戦いでの出会いから本能寺の変で信長が討たれ、安土城が炎上するまでを描く。信長の描き方は特記するほど他の本での描き方と変わることはないが、「天下布武」の思想を安土城建築への特別の執念を背景として置くが、この物語はあくまでその命を達成しようとする総棟梁、又右衛門とそれを超えようとする子の以俊、そして職人たちの話である。

 信長の城といえば、清洲城、岐阜城、そして安土城である。そしておそらく天主閣というものが初めて日本に登場した城である。このところ信長に関する本が多数出ているし、安土城の模型作りの週刊の本も出ている。しかし本当のところ安土城に関する資料は少なく、正確なところはよく分かっていないらしい。

 築城後わずかの年月でその役割を終えてしまった城であるが、もし残っていたら尾張出身の小領主の夢を具体的な形にした遺産としてその価値は相当なものになっていたろうと思う。最近、あちこちにあろうはずのないまがい物の城が建てられているが、歴史は歴史である。今残っている形こそが重要である。

 この本では、又右衛門の城造りにかけた情熱、職人魂が中心になっているが、その息子の以俊が棟梁として成長していく姿も丁寧に描かれている。そのあたりの方が私はおもしろかった。

 他に、木樵や瓦職人など多くの職人が登場するし、敵対する大名の乱波(スパイ)による妨害工作なども描かれるが、やはり二人の大工職人の執念こそが中核になっている。だから、スパイの部分などはあまり説得力がない。風景程度である。

 城造りを真正面から扱った小説として、とても興味深く読み終えた。今秋、映画化され公開されるという。広告によれば以俊は娘に変えられているようだ。2時間あまりの時間では、二人を描くことは難しいのかもしれない。どうせCGだろうけどどんな安土城が出現するか楽しみでもある。

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February 12, 2009

「古城の風景1」

 「古城の風景1」(宮城谷昌光・新潮社文庫)

 本屋に行ったが目的の本が見つからず、何か他におもしろそうなものはないかと探していたら、これが目に入った。宮城谷昌光という作家はもちろん知っていたし、この作者は古代中国を中心に書いていることも知っていた。残念なことにそのあたりは私はほとんど興味がないのである。だから、全く読んでいないと思う。

 ただ、中世の古城というものには若干興味があったし、特に三河の戦国時代には地理的なものもあってほっておけないな思い、購入となった。

 三河は徳川家康の父祖の地であり、元康であった時代に戦に明け暮れた土地である。また、江戸幕府を支えた多くの親藩・譜代大名・旗本の出身地である。戦国時代のある時期、桶狭間から本能寺あたりまでこのあたりは麻のごとく入り乱れていた。「古城の風景1」はこの時代前後の古城の人間模様を描いている。

 「古城の風景」はその様子を観光案内風に紹介するものではなく、今は忘れられたようになっている城址を探し、その城主がいかなる運命を辿ったかを見つけ出していく、人間風景である。城というと姫路城や熊本城なものを思い描くが、ああいうのは安土城以後のことであり、今残っている多くは江戸時代になってできたものと考えてよいだろう。この本で触れられた時代は大きな館に防備を強固にした程度のものだろう。

 三河地方にはいろいろな事情(妻の実家への通過地でもあった)で足を踏み入れることはあっても今は特に関係のある知人がいるわけではないが、読んでいて待てよと思った。学生時代著者の出身地近くから来ていた忘れ得ぬ先輩・三河出身では唯一の知人がいた。卒業前に事故で亡くなってしまった。彼も文学に造詣が深く(文学部だった)、優れた才能の持ち主であった。何度も下宿にお邪魔したものである。そんなことに思いを馳せながら読んだ。

 封建領主を敬ったり、城をありがたがったりする気持ちはさらさらないが、我々はこういうものでしか具体的・直接的に歴史を知ることが出来ない。要はそれらをどのように見るかである。

 「古城の風景」は5巻まで出版されるようである。私が訪れたことのある城のいくつかも書かれるであろう。

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February 08, 2009

「再発」

 「再発」(仙川環、小学館文庫)

 謳い文句には「パニックサスペンス大作の登場だ。」となっているが、内容はそんなに大げさなものではない。でも引きずられ一気に読み終えてしまった。私の趣味に合っているのだろう。

 主な登場人物は、開業医の成田真澄、獣医の渡良瀬敦彦、県立医大の助教の小杉亮子。彼らは高校の同級生という設定である。このあたりは非常に物語に都合よく出来ていると言えそうだが仕方あるまい。

 その男女3人の恋愛感情が大きな要素となって、絡んできて事件を思わぬ方向に運んでいく。老研究者や真澄の祖父なども事件の発生や解決に複雑に絡んでくる。

 何が「再発」なのかはここに書かないが、そういえば子どもの頃よく言われたな、と思い出した。最近ほとんど聞かなくなっていたが、50年ほど前に日本では絶滅していたのかと知ることが出来た。いやいや最近のブームを考えると危険な面もあるのかもしれないなどと不安を感じてしまう。

 主人公の真澄は突然父の後をついで地方の町で内科医院をはじめるのだが、やる気は全くない。その彼女は従姉妹の死によって変革していくのだが、必然性がしっかりしていて納得出来るし、亮子との女性としての確執もよく分かる。全体に無理が少ないのがいい。他の登場人物の描き方も自然でいい。

 医学的な説明も医学書のような難しい記述がなく抵抗なく読める。作者は医学系の大学院を出て、新聞社で医学や介護の取材をしていたようだ。なるほど分かりやすいわけだ。中にマスコミが正義面してヒステリックに叫ぶシーンがあるが、いつもそれを苦々しく思っている私はまさにその通りと手を挙げたい。

 作者は他にもこれに類する作品を書き上げているよう。「感染」くらい読んでみようと思う。

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February 02, 2009

「宇宙はささやく-現代宇宙論から人間を考える」

 いつも枕元においてあって、眠れない時などに目を向ける本の一つがこの「宇宙はささやく」である。布団の中で読む本だから、もちろん文庫本、ハードカバーでは手が疲れてしまうし、ページを繰るのにも難渋してしまう。

 「宇宙はささやく-現代宇宙論から人間を考える」(佐治春夫 PHP文庫)

 著者は基礎数学、理論物理学を専門とする理学博士で文庫発刊当時は県立宮城大学教授だそうだ。調べてみると現在は鈴鹿短期大学学長らしい。「ゆらぎ理論」の第一人者とのことだ。

 PHP文庫ということで本来ほとんど目を向けることのない出版社だが、題名に惹かれて数年前に購入したものだ。

 本書は12の章で構成され、それぞれ○月のお話という形になっている。各章のテーマは次の通り。

 ・”真昼の星”を見る
 ・宇宙と原子と私たち
 ・時間と永遠を考える
 ・数の不思議の世界へ
 ・私人の心と科学の目
 ・ことばの宇宙を旅する
 ・詩人・金子みすゞが描く宇宙
 ・宇宙に”おわり”はあるのだろうか
 ・数学の世界をかいま見る
 ・未知の世界に問いかける
 ・はるかなるETを求めて
 ・科学と神話とメルヘンと

 著者は科学者と芸術は同じだという視点から、話を進めていく。だいたいの始まりは宇宙論や数学だがそれを詩人の目で見ていくのである。登場する詩人は宮沢賢治、金子みすゞ、芭蕉、蕪村など。さらに音楽。著者のふところの深さに恐れ入る。

 そして宇宙人捜しへ(SETI)

 実はとても高度な内容だがそんなことを少しも感じさせないで、わかったような思いにさせてくれる。

 口絵写真の最後に、65億km(太陽地球間は1億5000万km)の彼方から見た地球、というものが載っている。直径1mmに満たない地球が白くポツンと写っている。65億kmなんて宇宙全体から見たら目と睫くらいなものでしょうけど、これが地球の存在なのだ、などと考えてしまう。この写真は私のお気に入り。

 心がおだやかになる本です。

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January 29, 2009

「さまよう刃」

 「さまよう刃」東野圭吾 角川文庫

 こういう本はだいたいが時間つぶしに買うのだが、これもその例にもれず駅前の書店で平積みされていたものの中で題名に惹かれて買ったものである。

 東野圭吾の本は何冊も読んでいるが、あまり記憶に残っているものはない。私とはあまり肌が合わないようだ。私はともかく世間では今一番というほどの作家でテレビドラマ化も多数されていることは知っている。そして私はそれをあまり見ていないことも事実である。どうも彼は犯罪を犯す側の心理描写が得意のようであるように思うが、違うかな。

 この「さまよう刃」は最初の方から犯人は分かっているからいわゆる推理小説ではない。どういう分類に入るのだろう。

 少年二人による少女の殺害?に対しての少女の父親の復讐が物語の表向きの筋だが、そこに刑事たちや子どもを事故でなくし離婚した女性、その少年たちの犯罪によって自殺した少女の父親、少年たちの犯罪に関わった少年やそれらの人たちの家族が多数登場していくつかの伏線が配置されていく。

 その中で女性が事件に入り込んでいく過程にえらく納得させられた。普通ではあり得ない状況だけど説得力がある。無理がないように思う。全体が暗い物語の中で、復讐とは違う必死さがあっていい。

 さて表向きの筋だがと書いたが、途中で「あれ?」と思うところがあってどうしてと疑問を持ってしまうのだが、表の方の筋に引きずられて深く考えずに読み進めてしまう。そして、最後に本当のテーマが表れ、どんでん返しを食らってしまうのだ。でもそれはじゃあどうしてその時対応しなかったのかという新しい疑問が湧いてしまうのだ。

 こういう犯罪、復讐を含めて起きた時、裁判員はどういう結果を出すのかという思いが読んでいる途中ちらちら脳裏で蠢いていたのでこの記事を書いているのだが、この小説の少年たちが犯す犯罪は実におぞましいものだ。そして近頃これ以上ともいえる犯罪が相次いでいる。犯罪そのものの件数は減っているそうだが、そうは思えないところに現代の闇の深さを感じてしまう。

 東野圭吾は復讐をどう位置づけているのだろう。あれこれいうほど読んでいるわけではないが、こういう題材の小説が多いような・・・。


 まだ読んでいない人が検索してこのブログに辿り着いて、筋をしってしまったら申し訳ないので、曖昧な表現になってしまいました。 

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January 27, 2009

「カムイ伝」

 昨日の朝日新聞に「派遣村」と「カムイ伝」を対照させた論評が載っていた。こんなところに「カムイ伝」が出てきてさすがに驚いてしまった。

 当時私もとびとびであったが「カムイ伝」「忍者武芸超」「カムイ外伝」など白土三平作品に目を通した。その他に学生たちに人気があったのは「あしたのジョー」があったし、「ガロ」というマンガ雑誌が好まれていた。私自身はマンガにあまり興味がなかったので、学生相手の食堂にあったものを読んだ程度である。

 「カムイ伝」も「ガロ」に連載されたものだが、「ガロ」には漫画界の異才の実験場みたいな面があったように思う。そう思っていた。つげ義春や滝田ゆうらがいた。私はその中の永島慎二が好きだった。

 とびとびであったので、全体のストーリーは全く理解できていなかったが、数年前「カムイ伝」の復刻版が出版されるということで、どんなものだったか確かめてみようと購読した。今から見てもすごい作品である。いわゆる劇画というもののパイオニアであろう。

 その「カムイ伝」にあの「派遣村」がなぞらえられているのである。時代は違っても差別する者と差別される者が厳然と存在しているのである。


 そしてニュースではあるホテルの明け渡し執行の様子を映していた。なんだか「派遣切り」と同じ流れが見える。

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 ヨン様に代表される韓流スター、本国の支持が70%弱なのに日本では90%の支持があるオバマ大統領、国技といわれる大相撲で視聴率新記録を出し、モンゴル国旗を持ってパレードした朝青龍。

 日本映画は近年かなりいい映画を作り出してきたが、首相の支持率20%以下、相撲は大関5人中日本人3人、横綱2人中日本人0人。なんだか日本という国の土台がガラガラと崩れていっているような気もするが。柔道は国際化(フランスの柔道人口は日本よりはるかに多いそうだ)して、日本の位置は下がったが、それはそういうものだろう。だが、相撲が柔道のように国際化するとは思えない。

 

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January 21, 2009

「破局噴火」

 恥ずかしい失敗談だが、本に夢中になって終点で降り損ない車庫まで運ばれてしまったことが二度ある。50m~100m位だからどうということはないし、運転手は後ろを確認しないのかという気もするが、失敗は失敗である。その一回に読んでいた小説が石黒耀の「死都日本」である。この本に私が夢中になったことは小説を二度読むことは極めて少ないのに、あの長編を二回目は付録についてきた地図を参照しながらたっぷり楽しんだことでも分かる。

 この「破局噴火」(高橋正樹、祥伝社新書)はたまたま本屋で目にしたものだが、その「死都日本」の解説書のようなものであると考えると楽しい。「死都日本」は火山学者からも高い評価を得た、十分に科学的根拠のある小説であったが、その根拠となるものを教えてくれる。副題は「秒読みに入った人類壊滅の日」という恐ろしいものである。

 「死都日本」でも書かれていたが、火山噴火が小規模な場合はその周辺への影響だけで済む場合が多いが、山そのものが吹っ飛んでしまうような噴火になると、国全体ばかりでなく、世界全体へ大きな影響を及ぼす。実際私たちは経験しているのであって、それは20年位前の冷害による米不足である。スーパーなどではいわゆる外米とセットで米を売っていたことを思い出す。冷害の原因はアメリカのセントへレンズ火山の噴火によるものといわれている。

 有名な「フランス革命」の遠因は日本の浅間山の噴火であるという説も読んだ記憶もある。でも、何万年、何十万年というスケールで見てみれば、セントへレンズや浅間の噴火などは小規模なもので、その何十倍、何百倍もの噴火は繰り返し起きていただろう。現生人類が現れてまだわずかの年月しか経っていないが、人類はそれまでいろいろな種類が生まれ消えていっている。もしかして、その原因が超巨大噴火によるものだった、と考えてもおかしくないかもしれないななどとも考えてしまう。

 「死都日本」は南九州霧島火山の加久藤カルデラが舞台の中心だが、「破局噴火」は日本のカルデラ、世界の代表的カルデラの噴火の歴史を地図付きで紹介している。火山用語の解説も平易で分かりやすい。日本では7000年に一回は破局噴火が起こり、それよりも大きい超巨大噴火は5万年に一回起こっているそうで、破局噴火級はもういつ起こってもいい時期に来ているそうである。

 記憶に新しい普賢岳の噴出マグマ量は0.2立方キロメートル以下、セントへレンズは1立方キロメートル、ピナツボは5立方キロメートル、それに対してここ10万年のうちに起こった最大の噴火は7万4000年前のインドネシアのトバカルデラで、噴出量は2800立方キロメートルだそうである。恐ろしい数字だ。

 高橋氏は噴火の規模によって超巨大噴火>破局噴火>巨大噴火とランク付けしているようだ。世界的な統一基準はないらしい。

 「死都日本」を読んだらぜひこの「破局噴火」を続けて読んでほしいと思う。警告の書でもある。

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January 13, 2009

さらに「地球46億年全史」(4)

 地学については全く素人だからそういう目で見てください。

 「地球46億年全史」はイギリス(ヨーロッパ)からはじまりイギリス(ヨーロッパ)で終わる。著者がイギリス人であるし、地質学そのものが彼や彼を取り巻く国々で発達してきたのだから仕方ない。そして、地質年代の模式地も彼らの国にある。カンブリア時代からの地質、いやその先の時代の地質が彼らの周りにそのまま残っているのである。

 さて日本はというといくつかの例外を除いて、ほとんどが新生代。それとわずかの中生代。このところ発見が相次いでいるが、しばらく前まで中生代の代表的生物、恐竜の化石は日本では発見されないのではないかという意見すらあった。それほど日本の地質は新しいのである。地質学が日本で遅れていた理由かもしれない。

 明治になる前は地学というものはほとんど日本になかったのではないか。もちろん、黄金の国ジュパングだから昔から金銀銅鉄などの鉱山はある程度発達していたこともあるが。

 ところが見方を変えれば、新生代の地質が多いということは今活動の真っ最中ということも出来る。事実、地震や火山の活動という点では世界有数の国である。富士山の噴火や東海・東南海・南海地震が現実的なものとして予想されている。震度3位の地震は日常的に発生している。

 昨夏、あるところで土砂崩れ対策の説明のために市の土木課の課員が来ているところに行きあわせた。地質調査の図をみせてもらったが、そこには「三波川変成帯」と記入してあった。こんな用語を地学書以外で見たのは初めてである。要するに土砂崩れを起こしやすいということらしい。

 石油、石炭、鉄鉱石など鉱業は現代産業の基盤だし、農業だって土壌の性質は重要な要素だ。地学、地質学は人間の営みを支えているのである。

 もっともっとこれらの知識を一般的に所有するようにしていく必要があるのではないかと思っている。なにかいい方法はないかと思うのだが、そのためにも大人が楽しく学習できる本を期待したいのである。富士山のハザードマップに従って避難することは大事だが、なぜそうしなければならないかを説明できる人が身近にいたら一層心強いではないか。

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January 11, 2009

「地球46億年全史」(3)

 「地球46億年全史」をようやく読み終えることができた。ようやくというのには意味がある。「生命40億年全史」の場合は登場する古生物はある程度土地に制約されているとはいえ、その土地に限定されているわけでなく、時間の流れによって進化してきた過程が描かれていて土地そのものの知識はそれほど重要ではなかった。

 ところが,この本の場合はそうではない。土地そのものがイメージとして浮かばないとどうもストンと落ちないのである。そのあたりが「ようやく」という意味なのである。

 この本の読者は地理的にも地学(地球科学)的にもかなりの素養を持った人を対象としているように思う。それらの知識が一定程度なかったら楽しく読み進めないだろう。世界の地学上重要な地域が次から次へと出てくるがそれらの地図がほとんどないのである。全体に写真、地図、図表が少なすぎる。こういうタイプの本としては全くないといっていいくらいだ。ゲームなどでは攻略本というのがあるそうだが、「地球46億年全史」を読み解くための図版集みたいなものがほしいくらいだ。

 そこで、この本を読み進めるための一つの方法として、パソコンを横に置いておくことをお薦めする。そしてgooglemapを開きそれを地図代わりにするのである。なにしろgooglemapはナスカの地上絵だって見ることが出来るのだからおおいに役立つ。フォティーが地学紀行をする行程に合わせて航空写真や地図、地形図を行き来し同行している気分になるのもいいのではないか。(ビューはプライバシーの保護の面で疑問がある)

 さらに地学用語に不案内な人は簡単なものでも地学用語の解説が載っているものがほしい。この本はそれら用語は自明のこととしてがんがん進んでいく。とても地学初心者が読むような本ではない。書かれていることは専門家にはよく分かっていることが大半であり、どちらかというと興味を持ち始めた人にふさわしいと思われるのにこの点の配慮が欠けているように思う。

 いずれにしろ著者は英国人でヨーロッパからの視点が中心になるのは仕方がない。こういう本日本人が書いてくれないものかと調べてみたら、あの平朝彦氏がやっていた。あの『日本列島の誕生』〈岩波新書〉の著者である。平氏が地質学の教科書というものを著していた。岩波書店の本だから高い。調べた範囲では「地球46億年全史」にもたびたび登場するアーサー・ホームズの「一般地質学」に匹敵するような本と予想される。価格はむしろ上を行っている。日本的、アジア的視点で書かれているだろうから期待がもてる。

 都心に出る機会があったら買ってこようと思う。内容も見ずに買うには高すぎる。私はアマチュアである。 

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January 03, 2009

「地球46億年全史」(1)

 あけまして おめでとう ございます

 今年もよろしくお願いします

 2009年が明けました。今年は山の頂に現れた初日の光を浴びて目が覚めました。

 今年の話をしなくてはいけないのでしょうが、去年の話からです。

 年末に新刊本の広告を見ていたら、見つけたのです。待ちに待っていた本が発行されたのです。早速行きつけの本屋さんに駆けつけました。そうしたら一軒は早くても3、4日、もう一軒は1月中旬、これでは正月に読めません。都心に行けばありそうですが、ちょっとその時間がありません。そうしたら、子どもがちょうど出かけるということ、頼みました。帰ってくるのが待ち遠しかったこと。

 その本が「地球46億年全史」(リチャード・フォーティ 著 /渡辺政隆 訳 /野中香方子 訳 草思社)です。

 リチャード・フォーティ はイギリスの古生物学者。専門は古生代に繁栄した三葉虫の研究。邦訳されている著書には「三葉虫の謎」(早川書房)、「生命40億年全史」(草思社)があります。私はそのいずれも読んでいますが、前作「生命40億年全史」の訳者あとがきで渡辺政隆氏が次にこの本が発行されることを予告していました。期待して待っていたのは、もちろん前二作がめちゃくちゃにおもしろかったからです。

 地球の歴史、特にプレートテクトニクス(本書のテーマ)についてはほとんど理論的に固まったと言えるところまできているので何冊かのそれについての本を読んでいれば、基本的なことについての理論には目新しさといったものは出てくるとは思えませんが、何しろリチャード・フォーティは実践第一のフィールドワーカーですから、骨格だけの無味乾燥のかさかさしたものでなく、生き生きとした表現で語られていくのです。

 学会発表のような堅苦しい小難しいものでなく、また逆に子ども向けのようでもなく、ある程度の基礎がある大人の知的好奇心を駆り立てるにふさわし表現・内容をもった科学啓蒙書です。それを書くことが出来る学者です。

 600ページ近くある大部の著作です。まだ、3分の1までも読み終えていない状態です。毎日一章位ずつゆっくり読み進めています。ここしばらくはこの本に囚われの身となるでしょう。

 感想は(2)で。 

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December 22, 2008

「細菌と人類」

 「細菌と人類 終わりなき攻防の歴史」(ウイリー・ハンセン ジャン・フレネ 渡辺格訳 中公新書)

 新型インフルエンザが心配されている。危機管理を世界的に行う体制も作られつつあるようだ。1月には「感染列島」という映画が封切りされるそうだ。金麦の檀れいさんも出演されているようだから、観に行きたいと思っているが、ちょうどインフルエンザが大流行している時期でもあり、映画鑑賞者が皆感染してしまいそうな不安もある。

 感染といえば「アウトブレイク」という映画があった。これは結構まじめに作られていたが、最近観た「28週後」というのはグロテスクの極みであった。CGが発達して、映画にグロテスクさが増してきている。

 さてそんな中で読んだ本がこの「細菌と人類」という本。息詰まるようなおもしろさがあるわけではないが、感染症に病理学者がどのように闘いを挑み、勝利してきたかがエピソードを交えながら書かれており、概観することが出来る。症状など詳しく載っていて、うろ覚えのものを整理して学ぶのにいい本だ。

 あるものは消滅させ、あるものは未だ闘いの中にある。戦争を左右するほど流行したもの、人口を半減させたものなど考えてみれば実に恐ろしい。結核などは新たな形で感染が増えているそうだ。

 そういえば桓武天皇が平安京遷都を決めた元々の原因の一つは天然痘である。「その時歴史が動いた」でやっていた。

 この本で扱っている感染症は次のものである。

 ペスト
 コレラ
 腸チフス その他のサルモネラ症
 細菌性赤痢
 発疹チフス
 淋病
 脳脊髄膜炎
 ジフテリア
 百日咳
 ブルセラ症(マルタ熱)
 結核
 梅毒
 破傷風
 ボツリヌス症
 炭疽病
 ハンセン病

 思い起こしてみれば、私が子どもの頃には、赤痢や結核など身の回りに当たり前のようにあった。

・・・・・・・・・・・・・・・

 「新宿コマ」なくなるんだね。楽しい劇場でした。最近は全く足が遠のいていましたけど。周りはスゴイ所でした。

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December 01, 2008

「石油消滅」(小説のタイトルです) その他

 こういう破局的状況を描いたエンターテーメント小説は好きである。作者が科学技術の多面的な知識をもとに想像力をどれだけ広げられるか、破綻を来してないかなど考えながら読んだり、もしこういう状況下でどう行動できるか私に当てはめながら学習したりしている。

 「石油消滅」(R・スコット・ライス 中原裕子訳、早川書房)

 石油が汚染され、使い物にならなくなってしまうお話。最近出た本のようなので、詳しくは書けない。

 飛んでいる飛行機は墜落し、自動車は止まってしまう。もちろん発電も、暖房も不能。石油がなくなるということはこういうことかと妙に納得してしまう。人間社会は無法地帯に陥ってしまう。いずれ現実世界でもそういう日が来るだろうと思うが、小説では短期日のうちに起きてしまう。実際石油がなくなってくると価格の急騰が起こるだろうし、石油で発電している限り電気自動車はガソリン車と同じだから止まってしまう。

 汚染させたものは何か、それをした者は誰か、犯人を探るCDCの職員を主人公に物語は展開する。最初のうちまたイスラムとの闘いかと思わせるが、そうでない気配も漂ってくる。「アラビアのロレンス」の話なども飛び出てくる。そして最後に物語は思わぬ方向に向かっていくことになる。

 小説の内容はこれくらいにして、

 何しろ登場人物が多い。いくつかの物語が同時に進行していく。参った。カタカナのこう出てきては私の脳みそは麻のごとく絡まってしまう。外国ものの推理小説も読むがこのカタカナの名前はどうも苦手だ。さっと区別がつかない。歳を取るに従いそれは激しくなってくる。

 もう一つ、ほとんどの文末が現在形。テレビの解説音声の聞いているような感じ。緊迫している状況ではこれもいいが、全てがこれだとかえって疲れる。日本語の物語には現在形の文末はふさわしくないように思う。この違和感は読んでみると分かる。訳の問題かな。

 石油は化石燃料ではないという説もあるらしい。トンデモ科学の一種だという考えが圧倒的だが、一部まじめな科学者も支持している説らしい。そうなら石油は枯渇しないわけだが、とりあえずは従来の説に従って石油後の世界を考える時期に来ていることは確かだ。

 この小説のようなことは現実には起こらないだろうが、いま世界は石油に完全に依存していることを改めて認識させられる。

 特にお薦めというわけでない。私は読むのに疲れ、終わるまでに随分時間がかかった。折角がんばって読んだので一言というくらい。

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 今日は11月の晦日。新幹線0系の最後の走行だそうだ。最初は東京大阪間4時間10分だったように記憶しているのだが。東京オリンピックと共に生まれた新幹線だったが、乗ることが出来たのはずいぶん後だったように思う。学生の頃国鉄を使う時はいつも鈍行だった。時間はあったが、金がなかった。特急券を買う余裕はなかった。

 もう満員の夜行列車の通路に新聞を敷いて、友人たちとおしゃべりしたり、寝たりする旅行など考えられないな。そういえば、山間を行く普通の乗り合いバスで3時間、私たち仲間だけでほとんど貸し切り状態になり、観光バスのように合唱をし通しだったこともある。移動歌声喫茶みたいなものだ。運転手さんは迷惑だったろうけど楽しい思い出だ。途中何人か乗り降りしたけど何にも言われなかったな。むしろ一緒に歌っていたんじゃないかな。映画「(原節子主演モノクロの)青い山脈」の世界だね。昔はおおらかだった。

 「篤姫」はいよいよ佳境に入ってきた。昨日は「無血開城」だった。あと2回を残すのみ。大河ドラマの歴史に残る作品だ。舞台はほとんど大奥だけ。医者や現首相からはもっと歩けと言われそうな狭い世界から日本の大変動に積極的に関わっていく物語に仕立てていくなんていう筋立てはたいしたものだ。みんなが知っていそうな歴史的事実はしっかり残してその間を独自の視点で繋いでいる。脚本の田渕久美子が朝日のテレビラジオ欄に文を寄せているが、このドラマの成功の大きな要因は脚本だね。田渕由美子がMVPか。

 また俳優がいい。特に女優がすばらしい。ほとんど主演級の女優が短い出番を思い切り楽しんでいる。時代が時代だったら、みんな大奥に入りたかったんじゃないかな。松坂慶子(一番楽しんでいる)、稲森いずみ(化粧がすごく、最初誰だか分からないくらい、でも存在感はたいしたもの・・・私には・・・?)、中嶋朋子(蛍ちゃんだ)、(若手人気者)堀北真希、(最近爆発している)高畑淳子、若村麻由美、高橋由美子、中村メイコ(まで出ちゃった)などなど、おう、鶴田真由もいた。何より篤姫の宮﨑あおいがすごい。けっして絶世の美女ではないが、表情の変化が見事だし、その都度ほっとした気分になる。もう大女優だね。

 篤姫ブームで民放まで(応援?)番組を企画する1年であった。紅白の出演者を見ると、昔あったようなNHKと民放の壁はなくなったようだね。「篤姫」はその点でも貢献しているのかな。

 今日、NikonからFXの多画素(2400万画素)デジタル一眼カメラのD3xが発表されるという噂が流れている。D3も買えないのだから、値段がその1.5倍もしそうなD3xなど手に入れることはできるわけがないが、いずれその廉価版が出るはずだからとても興味がある。

 老人プアカメラオタクには指を咥えて見ているだけしか出来ないかも知れないが・・・。

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 私用のため、この日刊ブログは次の日曜日までお休みです。というわけでもないがいろいろ書きました。携帯からでも出来るんですが携帯メールは大の苦手です。

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November 15, 2008

「ジェミニの方舟-東京大洪水」

 「ジェミニの方舟-東京大洪水」(高嶋哲夫)集英社

 高嶋哲夫の災害3部作の3冊目「ジェミニの方舟-東京大洪水」は東京が台風による水害に襲われるお話。「M8」は地震、「TUNAMI」はその通り津波、そして今度は東京の東部を水没させてしまう水害である。

 登場人物は前2作で活躍した遠山教授らが設立した「日本防災研究センター」の気象学者玉城孝彦と所員の木下、玉城の家族、江東区の災害対策にあたる後藤やちょっと頼りない都知事金森ら。もちろん1,2冊目で活躍する元都知事漆原、遠山、瀬戸口、松浦たちも登場する。舞台は江東区。「地球シミュレーション」というスーパーコンピュータももちろん登場する。

 高嶋哲夫の小説は本当にテンポがいい。この3部作だけでなく「ミッドナイトイーグル」「スピカ-原発占拠」「イントゥルーダー」どれもこれも一気に読み終えないと我慢できないおもしろさである。

 むかしむかし、小松左京の「日本沈没」(「日本沈没」の第2部というのも出版されているが、これは「もういい加減にしろ」というほどつまらない)を読んで以来この手の破局的災害が起こった時にどうやって人々は対処していくかといった小説にはとても興味があり、夢中になってしまう。

 この本に登場する台風は二つの台風が合体する(ジェミニの意味はここにある)ことによって生まれた超巨大台風。それが東京を直撃して荒川が氾濫し東京の0メートル地帯、地下鉄など水浸しになってしまう。この台風はちょっと考えられないほどの強さの台風で中心気圧が800hPa近いというもの。こんな台風あるのか思うが、地球温暖化が言われている現在、もしかしてとも思ってしまう。

 高嶋哲夫の小説は襲ってくる脅威の割には被害が小さいのが特徴。特にこの本の想定する台風の驚異とその結果の間には落差がありすぎる。伊勢湾台風や狩野川台風を体験し、洞爺丸台風を知っている私は人間てもっと弱いよと思ってしまうが、作者の優しさだろうか、どうもそこまで書ききれないようだ。

 この本では玉城家の様子がずいぶん丁寧に描かれている。災害に対してこの家族がどのように闘ったかというところに視点をおいて読んでいったらいいかもしれない。結構複雑な家族ではありますが・・・。

 そうだとしても、災害に対してちょっと無防備になっている都会人への警告的な意味合いはあるのではないかと思う。こういう小説から学ぶものは多い。

 この種の小説では石黒耀の「死都日本」が抜きんでておもしろい。石黒耀の「震災列島」は正直つまらない。「昼は雲の柱」まあまあ。2,3冊目になると力が抜けてしまうのか、1冊目ほどのすごみがなくなってしまう。

「死都日本」を超える小説を誰か書いてくれないかなあ。

 

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November 10, 2008

「草笛の音次郎」

 「草笛の音次郎」(山本一力)文春文庫

 山本一力の時代小説。股旅もののジャンルだと思うがそう思って読むとかなり違和感がある。

 子ども時代、浪曲・講談を聞き、ドサマワリの芝居に夢中になり、東宝・松竹・東映の映画を見、いつか縞の合羽に三度笠であてのない旅をしてみたいと夢を描いていたこともある私にはこの小説を股旅ものとして認めることはできない。

 博打打ちの代貸候補生として修行のため江戸から佐倉・成田・佐原までの旅をする話である。途中盗みにあって、その首領を同心らと協力して捕まえる訳だが、博打打ちが官憲たる奉行所の与力・同心と力を合わせて解決するとはやくざの風上にもおけない所業である。

 アウトローはアウトローでなければおもしろくもなんともない。実際は「二足の草鞋を履く」といったようにそんなものだと思うが、これでは黄門様の印籠よろしく権力の後ろ盾が全てということになってしまう。

 縞の合羽に三度笠はやはり俯いて顔を隠すように急ぎ足で旅をする姿が似合う。三度笠の中の顔には空しさ、やりきれなさ、悲しさが宿っていなくては話にならない。あまりに主人公が明るく、すっきりしていて、多少の躓きはあっても最後には何もかもうまくいってしまうのではつまらないというしかない。

 この作者の作品に登場する悪党はいつものように小者で悪党ぶりが伝わってこない。それ以外はみんな主人公への熱烈な協力者ばかりだ。安心して読める分にはいいかもしれないが物足りなさが残ってしまう。

 二つ名の「草笛」も物語の中で生かされていない。

 ただ筆の運びがとてもうまいのでつい最後まで一気に読んでしまう。でも、折角やくざを描くんだったら、もう少し反権力的な要素を盛り込んでほしいものだ。

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 我が首相は自民党の学生部が企画した学生のコンパに参加したそうだ。そこでの話題が「マンガ」。

 学生と首相の話題が「マンガ」???????!!!!!  60半ばの首相が話題にすることかよ。首相を前にして学生が話題にすることかよ。

 ビールを飲みながらマンガの話に夢中になっている時、その同時刻、何百、何千の若者がリストラされていることを知っているのか。

 40年前、50年前の学生とだったら、徹底的に批判されていただろう。

 善意に考えて、他の話題もあったとしても、「マンガ」が取り上げられてしまうとすれば「悲劇の宰相」というしかない。

 追記

 その後の報道で学生はほとんど自民党学生部の人間らしいことがわかった。批判など出るわけがない。要するに自民党学生部の酒席に来賓として呼ばれただけではないか。報道にも値しない。それにしても1時間3000円+1000円の居酒屋は学生には贅沢の部類だ。

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November 04, 2008

「あかね空」

 恐れ入りました。いい本です。山本一力「あかね空」(文春文庫)の話です。一気に読み終えました。

 直木賞を取りましたし、映画になっているので内容は省きますが、まず構成に感心しました。第一部では永吉・おふみ夫婦の物語、夫婦の目で見ている。第二部は夫婦の目では見ることができなかった子どもたちの視点。一部では見えてこなかった子どもたちの心の動きが明らかになってくる。誰もが表から見える行動(第一部)とは違う感情、思いを持っていて、行動に見られた不透明な部分が明らかになってくる。

 この作者の特徴といえる登場人物の丁寧な書き込みがすばらしい。世の中こんなに都合よくいったらいいな、と感じることもあるが、登場する人々誰もがいい人で安心して感情移入できるのがうれしい。

 対立する悪人も少なく、見るからに弱そうで、どうもこの作者は主人公たちをとことん窮地に追い込むのが苦手のようだ。

 「かんじき飛脚」にはやや物足りないものがあったが、「あかね空」は完成度が高い。4歳の時誘拐された子どもが思わぬ形になって現れるのがおもしろい。その傳蔵が最後に言う言葉がいい。この言葉を言わせるためにこの話を書き続けてきたのだろう。

 映画になっているそうだ。この頃は映画どころではなかったので知らなかった。ビデオでも借りてこよう。

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 あれれ、文民統制に違反した人に6000万円の退職金だって。憲法違反の行動を取った人にですよ。

 

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October 22, 2008

「かんじき飛脚」

 「かんじき飛脚」(新潮文庫版・山本一力)

 山本一力の時代小説は文芸本のコーナーに平積みされていることが多く、気になる作家であったが、なんとなくさけていた。私の性分で気に入ると同じ作家の本をほとんど読みつぶすまではまってしまうからである。その気配があった。ただ今回は文庫本のコーナーで見つけ、時間つぶしに読み物が必要だったのでつい手にしてしまった。

 細部までしっかり書き込まれていて、読み応えがあった。

 加賀百万石の前田藩と寛政の改革の松平定信との抗争を加賀の飛脚と御庭番の戦いを通して描いたものである。とりたてて主人公らしいものは存在せず、8人一組の二組の16人の集団が主人公である。他に加賀藩土佐藩の用人、飛脚屋などが登場する。各藩の飛脚がどのようなものであったか、どのような経路を通って役目を果たしていたか、飛脚はどのように選ばれたか、秘密保持のための飛脚の重要性、飛脚の待遇などが克明に描かれていて勉強にもなった。

 北陸の大藩前田藩と江戸幕府の地理関係もよく分かった。豊臣政権の時代の大阪と金沢と違い、金沢は本当に遠隔地だ。親不知子不知や北国街道などの難所を抱え、外様の雄藩の配所として納得できる。その難所が物語りに重要な意味を持ってくる。

 登場する3人の女性にも好感が持てた。誰もが恥じらいを持っているし、献身的行動的である。凛としている。私の時代小説の女性像にきっちりはまっている。

 登場人物が丁寧に書かれているのでこれも伏線かと思い込んでいると、そうでなかったりでがっかりところもある。また、飛脚になるまでの経歴がそれぞれ生かされていて性格に反映されている点もエピソードにリアリティーを与えている。また、時代小説作家のおきまりで食事の内容が事細かに描かれている。

 題名が「かんじき飛脚」ということで、子どもを救ったお礼にもらったかんじきがもう少し意味を持っているかと思ったがそれほどではなかった。子どもを救う場面があれほど丁寧に書かれているんだから、もうちょっと重要な役割を持たせてよかったのではないだろうか。

 いくつかの素朴な疑問。

 内室の病気、不健康が藩の改易や取りつぶしにまで発展するほどの大事だろうか。江戸時代は病気であっさり死んでしまうことは当たり前で「篤姫」を見ているとそのことがよく分かる。

 8人一組が駅伝形式で飛脚するのだが、いちいち江戸と金沢に必ず集結するとなると、その方式自体がとても合理的とは思えない。ずいぶん無理のある筋立てだ。

 飛脚が皆6尺前後という大男。長距離を走破するには今の感覚では似合わないようにも思うが。

 松平定信が3人の御庭番の敗北であっさり手を引いてしまったが、仕掛けが少なすぎるし稚拙だ。ずいぶんあきらめがいいこと。

 といっても物語の運びはおもしろく後何冊かは山本一力の本を読みたくなった。全部読むぞというところまではいっていない。

 

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September 20, 2008

「まぼろしの邪馬台国」(3)

 「まぼろしの邪馬台国」(宮崎康平)を読み終わった。
 吉永小百合主演の映画が公開されるということで読み始めた本であったが、対象地域が九州なのでなかなか地理的なイメージがつかめず遅々とした進み方だった。
 数年前、旧石器時代遺跡のねつ造問題で日本の考古学の脆弱さが露呈したが、この本で改めて確認できた。「魏志倭人伝」の解読で字や方位、距離などを実に簡単に間違いだとして自分に都合のいいように変えていくのを見てずいぶんいい加減なものだなあと思い、興味が減少していったが、宮崎康平の迫り方は私の目には正統派に見えた。音韻学とか考古学とか地質学とか地理学とかまあいろいろなものが一体となった理論だから、正直内容について私があれこれ言えるものではない。素直に読み、受け入れるしかない。
 邪馬台国畿内説は中国との関係で常識的にも無理があるなあと思っていたし、40年ほど前、高松塚古墳が発見された時、装飾古墳がブームになって、そこで九州の独特の装飾古墳の存在から何かあるなと思っていたから、宮崎さんの結論は納得できるものであった。さらにその後の吉野ヶ里遺跡のこともある。この本が出版された後考古学の上でどうなっていったかは私は知らない。
 だが、宮崎さんも言っているように、まだ決定的な証拠が見つかっているわけでなく、私は(2)で書いたように最終的な結論は出ないように思う。
 そんなことより、私は失明した宮崎さんがこのような本をどうやって書いたかに関心をより強くもった。読みながら自分を失明した状態において内容を理解しようと、あるいは、書こうと想像したがどうしても私には不可能である。奥さんの献身的な援助なくしてあり得ない。「女は・・・」という文もあって、ずいぶんだなあと思わせるところもあるが、本当に幸せな人である。読みながらこの研究の90%以上は奥さんの力によるものだと私は結論を下した。だから映画化が可能になったとも言える。
 11月1日公開の映画がますます楽しみになった。

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September 17, 2008

「まぼろしの邪馬台国」(2)

 先日TBSで耳の不自由な作曲家が作った交響曲について特集をしていた。注視していたのでないのでその人の名も曲名も分からないが、原爆を題材にした曲だった。
 そういえば昔、目の不自由な人が風景写真を撮っている様子をテレビで見たことがある。
 彼らを突き動かしているのは何だろう。

 「まぼろしの邪馬台国」を書いた宮崎康平は目が見えない。
 彼を邪馬台国の位置を明らかにしようとさせたものは何だろう。

 私は「邪馬台国」がどこにあろうとどうでもいいと思っている。
 それを追及していく過程がおもしろいだけである。それだけにとどまっている限り、どこにあったとしてもいいと思う。どこにあったからといって、私たちの生活に変化が起こるわけではない。千七百年も前のことである。おそらく最終的に決定されるということは永遠にないだろう。それを政治的に利用しようとする者が若干いそうだということが煩わしいだけである。

 見ることができない著者が「まぼろしの邪馬台国」を著した。「魏志倭人伝」を読み、地図で点検し、巡検をしていくのである。
 健常者でも躊躇するようなことを彼はやるのである。驚異である。

 やはり奥さんの力が大きい。彼女なくしてこの本はできなかった。資料の同じところを何十回、何百回と読んだんだろうと思う。
 映画で吉永小百合をもってきた意味が分かった。宮崎康平の発想、想像力、洞察力、豊富な知識、多くの支援者があったとしても、これらも大変なものであるが、奥さん(和子さん)がいなかったら取りかかることすらできなかったろう。やはり主役は奥さんなのである。映画だったらそうする他はない。

 また、おまけ。

 世の中、すごいこと(リーマン・ブラザーズの破綻とそれにつながるもの)が起こっている。こういうこと(経済理論や実体経済)に弱いので、どうなっていくのか予想がつかない。少なくともいい傾向と思われるものは一つとして見られない。実際働いている時は、仕事さえあれば食べていけると考えていたから楽観的だったが、主体的参画することができず、一種寄生してして生きているような状態なのでこういうことに敏感になる。
 そんな中、総裁選の候補者の一人の失言が報道されていた。失言などというものはない。出た言葉は全て真実である。心の中にないことは言葉にならない。心に(いつも思っているから)あるから調子に乗ると押さえが効かなくなってつい言葉になるのであろ。しかも世界がこんなことになっているのに、浮かれていて日本は大丈夫なのか。仕事を放り出した人も、(8月15日が太平洋戦争・日中戦争終了の日と勘違いしているのと同じように)辞職を宣言したら、仕事も終わったと勘違いしているのではないか。(8月15日は日本が降参と宣言した日で、それを相手国が受け取り、両者が対面して実際終了したのは9月2日と世界は考えている。)  今現在日本に首相は存在しないのか? 

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September 12, 2008

「まぼろしの邪馬台国」(1)

 宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」(講談社文庫)を読み始めた。一日で読み終える気力も体力もかってほどはないのでどんなに興味深くて断続的な読書になってしまう。

 なぜ今頃ということであるが、その理由の第一は宣伝でこの「まぼろしの邪馬台国」が監督堤幸彦、吉永小百合・竹中直人主演で映画化されたことを知ったこと、第二に本屋でこの本が平積みされていて目に入ってきたこと、第三に読み忘れていた本の一つであったことである。

 邪馬台国ブームの火付け役となった本ということは知っていたし、その後に出た何冊かの「邪馬台国」ものは読んでいたが、この本が発行された頃の私は全く「邪馬台国」なんぞに興味がなくて他のことに全身全霊を傾けていたので多少「邪馬台国」や「古代史」に興味を持ってきてからもつい置いてきてしまった本である。

 それが吉永小百合主演で映画になるというのであるから、サユリストであった私は見ないわけにはいかない。そのためには原作になった本を読まないと失礼になる、というわけである。映画は邪馬台国がどうのということより夫婦愛みたいなもの、妻の目から見た宮崎康平とその妻の生き方に視点を持ってくるだろうが、読んでおいて無駄になるまい、と読み始めた。

 読み始めたら結構おもしろい。予想していたことと全く違った。彼が研究したのはもう50年以上も前のことだからその後の研究でどう評価されているのかはよく分からないが一人の(野の)研究者が何を見、何を考えていったのかと知ることができそうだ。

 映画の感想まで何回かになりそうなのでとりあえず(1)とした。

 

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August 23, 2008

「フェルマーの最終定理」

 「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン 青木薫訳 新潮文庫版)を読み終わった。もともと数学が苦手の私が数学中の数学の数論についての本なのだから数学に関するところはほとんど理解できていないがそれでもおもしろく読み終えることができた。発刊当時評判になっただけのことはある。
 私も購入したはずだが、他のことに忙しくそのうちどこかに隠れてしまった。この夏、田舎の少しの文庫本しか置いてないスーパーマーケットの本屋を覗いたらこの本があったので暇つぶしにと読むことにした。推理小説のように一気に読める本ではないし、何しろ目が疲れてしまうので随分時間がかかってしまった。オリンピックばかり見ていたわけではない。
 アンドリュー・ワイルズが1993年に「フェルマーの最終定理」の証明に至る過程をピュタゴラスからの数論の発展の過程をたどりながらまとめたものであるが、数学発展史を読んでいるようで初めて知ることばかり、数学の世界を垣間見ることもできた。
 さらに驚いたことがある。私は古生物学とか地質学とかのこういう啓蒙書が好きでかなり読むのだが、日本の研究者はほとんど出てこない。日本の研究の歴史の浅さもあるのだろうが、歯がゆい思いもあった。だが驚くべきことにこの「フェルマーの最終定理」の証明には日本の研究者の業績が深く関わっているのである。サイモン・シンはもっと高い評価を要求しているように思う。
 その日本人研究者は谷山豊氏、志村五郎氏、岩澤健吉氏である。「フェルマーの最終定理」の証明のキーとなった谷山=志村予想の谷山豊氏は原因不明の自殺をしている。もし彼が研究を続けていたら・・・という思いも感じられた。
 もっと前に読んでおくんだった。

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August 05, 2008

「デイ・アフター・トゥモロー」

 「デイ・アフター・トゥモロー」(アート・ベル、ホイットリー・ストリーパー、倉田真木訳)をやっと読み終わった。
 「デイ・アフター・トゥモロー」は映画になり、DVDを手に入れ観たが、本は映画とは全くといっていいほど別物である。一部をサバイバルものに仕立てたものが映画である。
 こういう内容のものには大変興味を持っている自分でも、正直読むことが大変であった。とびとびに読むことになってしまった。何しろ映画を観たとほぼ同時期に手に入れた本であるのだから。
 トンデモ科学のようなところ、科学的なところ、フィクションが混在していて、ついため息をついてしまう。文庫なので、図表が全くない。こういう内容にはやはり説得力のある図表が必要である。
 
 いずれにせよ、地球が危ないことは確かであろう。最近の気象の異常さはその予兆であると考えてもいいのかもしれない。

 この本のように、スーパーストームが発生し、氷河が地球を覆うという形になるかならないかは別として。

 化石燃料の消費による二酸化炭素の増大が地球温暖化の最大の要因だと考えると、現在、最も問題となる国はアメリカと中国である。もし中国国民がアメリカ並みの石油消費をすると、それだけで需要が供給を上回るとか。まてよ、最近の石油価格の高騰は石油消費を抑えようというどこかの国の謀略なのか。電気自動車の普及を盛んに宣伝しているが、その電気はどうやって作るんだ、直接燃やした方がロスが少ないんじゃないかな。発電を石油から転換するとすると何にするんだろう。水力? ダムを造る場所はもうない。風力? 日本中が風車。地熱? 温泉が涸れる。そうするとやはり原子力? 現在ある原子力発電所の数倍、十数倍の発電所が必要だろうな。今後、走っている自動車全部に電気を供給しなければならないのだから。きっと、地方では自分のところをまかなうことで精一杯だから、東京あたりの一番電気を必要とするところは自分のところに原子力発電所を造らざるを得ないことになる。どこに造ろうか? 正直、私ごときには展望が全く見えない。 

 あんまりのんびりしていられない状況と言えることだけは確かだ。

 明日は、63年前広島で原爆投下による大虐殺が行われた日だ。

 

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July 08, 2008

こんな国に生まれちゃったんだから・・・(つづき)

 こんな国に生まれちゃったんだから、仕方ないといえばそれはそうなのだが・・・。第一線からリタイアして、これはというほどの社会的な活動から遠ざかるとむなしさだけが漂ってくる。
 元来壮健というわけでなく、仕事している間は相当無理して、あるいは自分の体をだましだまししながらきたので急に歳をとったように感じる。
 好きだったドライブもガソリン値上げで思うに任せず、好きだったカメラもデジカメ全盛で次から次へとモデルチェンジしてしかも高価、・・・・・・。リタイアしたら思い切りやろうとしていたことが身体的にも経済的にも不可能になってきつつある。
 身体的なものは個人的なもので仕方ないにしても、老後の設計が根底から崩れていくような経済的な見通しのもてない状態は何とかしてほしいものである。
 これはもう我々には個人的な努力ではどうしようもないものなのである。

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