『臓器農場』
先の国会で「臓器移植」に関する法律が改正され、「脳死が人間の死」であることと、「15歳以下の臓器提供」ができるようになった。人間の生死という倫理上の問題として各党、党議拘束をかけないで裁決されたのである。だが時期尚早、もっと広く意見を求めるべきという考えの政党もあった。各国で外国人への臓器提供を規制する動くが大きくなってきたきたこともあり、それが法律改正の動きを早めたのであろう。
ただ、正直私には分からないことだらけである。というより本当に国民的合意が出来ているのだろうかという疑問がある。
そんなこともあって、最近関心を深めている箒木蓬生の『臓器農場』(新潮文庫)を読んだ。農場であるから、栽培する、飼育するということであろう。臓器をだから飼育する、となるわけだが、それはどういうことかなどと思いながら、ページをめくっていった。
(彼の作品はとても難しいこともとても平易に書かれていて読みやすくつい一気に読んでしまいたくなるの状況によっては実に困りものだ。その日も朝5時には起床して撮影に出かける予定があったのだが、結局2時に読み終わるまで起きてしまった。撮影の疲れたこと疲れたこと。)
看護婦(作品が出来た当時まだ「師」ではなかった)になったばかり20歳の女性「天岸規子」とその友人で同じ病院の看護婦となった「志木優子」、そこの医師「的場」の三人が、臓器移植に関する病院の暗黒部分を暴いていく「医療ヒューマンサスペンス小説」。
サスペンス小説というわけではないだろうが、二つの「殺人事件」が発生するが、小説そのものが「臓器移植」という人間の生死そのものを扱ったものであり、ついそちらの方に関心がいってしまう。殺人という重大事件にもかかわらず単なるエピソード的取り扱いのように思えてしまうのである。あまりにも無謀であっけない死である。
サスペンスとしてはやや物足りなさがあるが、臓器を提供する、されるということについての理解をかなり深めることができた。作者はどうも「脳死は人の死」という考え方には反対のようである。
「無脳症児」という存在がこの小説の根底を貫いているのだが、登場人物の一人藤野茂(彼も「生きる」を表現するキーパーソンであり少し超人的過ぎるのだが)に「無脳症児も人間です」と言わしめている。
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昼頃のワイドショウを見ていたところ、新聞の後追いコーナーの中で、ある議員のスキャンダル暴露記事を放送していた。もしこれが事実でないとしたら、放送局はどういう責任をとるのだろうと思った。新聞記事を紹介しただけでは済まされないだろう。民間放送もジャーナリズムの一翼を担っているという自負があるとしたら、例え後追いとしても事実確認の必要はあるだろう。新聞は買わなくちゃあ読めないけど、テレビは強制的に垂れ流される。次のプログラムを観ようとしていて電源を入れていることもあるのである。
それにしても、民放ワイドショウ最近2世タレントの話題に忙しい。一方新聞では親の収入が子どもの大学進学率に大きく影響しているとの東大の研究調査が紹介されていた。
格差社会という言葉で物事を見ていくと、世襲議員も2世タレントの特別扱いもこの調査も最近多い親殺し子殺しも底辺に何か共通のものがあるように思われる。




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