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February 2009

February 28, 2009

田中星児

 深夜、もう未明と言っていいのかな? 目が覚めたのでラジオをつけた。この時間に聞くのは「ラジオ深夜便」である。

 「ラジオ深夜便」はさるお方が重体になったときに緊急の放送に備えて朝まで延長したのがはじまりであるが、その後も続けられNHKラジオの看板番組になっている。

 その頃から私は折に触れ聞いている。特に民放の深夜放送に世代のずれを感じる年配者に好評だ。年配者は徐々に睡眠時間が短くなっていくから、夜なかなか寝られなかったり、今日の私のように目が覚めてしまったりした時に大変価値がある。

 初めの頃は、番組編成がどうなっているか分からないような状態でいろいろなものが流されていておもしろかったが、最近はちょっとワンパターンになっている。

 その中でも3時から「にっぽんの歌こころの歌」はお気に入りで、昨夜は「佐伯孝夫特集」で吉田正と組んだ歌を特集していたし、今朝は田中星児の特集である。ということで田中星児に辿り着いた。

 田中星児のヒットしたと歌といったら「ビューティフルサンディー」くらいしか知らないし、事実そうらしいのだがNHKの「みんなの歌」もようなところでは名前を見たし、歌も聴いていた。

 ラジオを聞いていて知ったのだが、彼は私と同い年なのだ。若いなあ。それに、のど自慢全国大会で優勝もしているそうだ。

 10曲くらいの歌が流れたが実に安心して聞いていられる歌いぶりなのだ。あまりにも優等生的過ぎるのが弱点なのかもしれない。

 そしてなにより言いたいことは実に美しい日本語なのである。安物のラジオで聴いていても歌の一語一語がしっかり耳に入ってくる。

 最近の若い歌手がそこまでしなくてもというほど巻き舌にしたり、濁らせたりして歌っている日本語とはそれこそ雲泥の差なのである。日本語の詩をメロディーに素直に乗せたらこうなるであろうなといった歌いぶりなのである。

 こういう歌いぶりでは彼には爆発的ヒットというものを現代日本では望めないかもしれないが、なんだか貴重な財産のような気がして聞いていた。

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February 27, 2009

Nikonが値上げ?

 Nikonからメールがきて、レンズを値上げするそうだ。ほとんどがMFレンズ、Dタイプレンズで現在主流のGタイプレンズでないので最近のカメラを使用する者にとって関係ないといえば関係ない。余程大きなカメラ店でなくては店頭に展示すらしていないレンズである。

 驚くことはこんなレンズをいまだに生産、販売していることである。Nikonのすごさを感じる。しかも最新のD3xとかD90などのデジタル一眼で最適でないにして使用できることである。

 私が最初に買った一眼レフのカメラはアサヒペンタックスであるが、当時はNikonがほしくても買えなかった。その後、ニコマートとかFMとかが出てやっと手にすることができるようになった。はじめてのNikonはFM2である。Nikonのカメラは裏蓋を開けるためにはボタンを押すという余分な操作を入れなくてはならなかった。当時のムック本にその理由が書いてあり「人間は何をするか分からない」ということだそうだ。なるほどなあと感心したものだ。それは今使っているF5にしても同じでボタンを押しながらでないと電源すら入らない。デジ一眼に慣れてしまうとそれを忘れて焦ることになる。

 こういう堅実性がNikonのすごさである。

 Nikonのボディやレンズの特徴はよく「大きい・重い・高い」で表現されるが、確かに MADE IN JAPAN と表記されているものはそれが当てはまる。おそらく「人間は何をするか分からない」と頑丈に作っているのだろう。そういうところが信頼できるのである。多少の接触や落下ではビクともしない安心感がある。

 でも私個人の問題として、以前に比べて腕力、脚力、体力が相当落ちている。望遠は VR70-200f2.8 を使っていたが、性能より重量の方が選択の基準として重要になってきた。ネットで探していたら、価格.comの最安値より安いところがあったのでつい VR70-300 を買ってしまった。もちろんMADE IN JAPAN ではないが、なかなかよさそうである。価格は3~4分の1、重さは約半分になったが、性能が半分になったわけではない。私の技術はおそらく数十分の1だから、十分すぎるほど十分である。余程のことがない限り VR70-200f2.8 の出番はなくなりそうだ。

 Nikonはカメラ屋さんだから、電子技術は若干苦手にしているようである。ソフトもセンサーも他社製品である。だが、これもいいとこ取りをしていると考えればかえって評価できる。フラッグシップのボディやレンズ以外はほとんどタイ製でも、それで私のようなものが手に入れられるのだ。Nikonが「人間は何をするか分からない」という思想をもって、ほとんど売れることもないレンズを残し、生かせる体制を維持しているのをみるとNikonはいいなあ、と思ってしまう。(木村拓哉の真似ではない)

 Nikonの値上げについて書こうと思っていたらNikon賛歌になってしまった。(Nikonさん、特別割引きしてください)

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February 26, 2009

テレビを観ていて

 丸一日家にいることも多くなったし、もともとテレビという媒体は嫌いでないので年中テレビがついている。

 朝食を摂りながら新聞を開き、1面からおもしろそうな記事を拾い読みしながら、順に見ていって最後にテレビ欄に辿り着き、見逃してはならない番組を見つけ出す。それらの番組以外は流れているが観ているわけではない。BGMと同じである。流しながら本を読んだり、パソコンに向かったり、カメラの手入れをしていたりしているのである。

 そんな中で最近思うのは、テレビにもずいぶん不況の波が押し寄せているんだろうな、ということである。その位のことはまじめに観ていなくとも伝わってくる。

 聞くところによるとスポンサー探しが大変なようなのである。そりゃあそうだろう、企業スポーツからどんどん撤退しているのだから。西武でもっていたようなアイスホッケーから本家本元が消えてしまうし、一時期自動車のコマーシャルがずいぶん流れていたことがあったが最近は本当に減った。

 そういう事情もあるのか、民放の番組作りがずいぶん安上がりになってきたように思う。いくつかのドラマ以外はほとんどがスタジオで安タレントワイワイやっているだけである。特に一日の最後のニュースの後はひどい。また、午後は再放送ばかりである。仕事をしている時は観られなかったものを観れるので重宝している面もあるが。

 『おくりびと』や『感染列島』など最近の映画のほとんどはテレビ局制作だから、そっちの方に力を入れているのかもしれないが、肝心のテレビのやる気のなさは目に余る。

 私がその気になって観るのは、ニュース、報道情報番組、いくつかのドラマ、ドキュメンタリーなどだが、民放の報道情報番組はほとんどが新聞の焼き直しである。スタジオに新聞を貼るボードさえあればいいのである。自らが見つけ出したニュースなどほとんどない。取材力はなきに等しい。前財務大臣の不祥事だって同行しながら外国の報道の後追いである。しかもどれも細切れ。コメンテーターもたわいない感想を言っているだけである。

 このまま不況が続くとますます薄っぺらなものになっていくんだろうなとくだらない心配をしている私がここにいるのである。  

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February 25, 2009

「壁と卵」を読む

 先日「エルサレム賞」の受賞式に臨んで村上春樹氏が行ったスピーチ「壁と卵」の全文が『週刊朝日』に掲載されていたので読んだ。

 何分にもイスラエルによる非人間的な殺戮がパレスチナ、ガザ地区に対して行われた直後であり、あからさまな言葉を遣っているわけではないにしろ、明らかなイスラエル批判を当事者の前で行ったのであるから、その勇気と誠実さに驚嘆せずにはいられない。

 彼は作家としての自分の生き方を述べているのであるが、それはとりもなおさず人間としての生き方である。どんな状況下にあっても個としての人間の側にたって生きること大切さを訴えている。例えそれが間違っていようともである。それに対するのはシステムとしての壁、その典型が戦争である。

 村上春樹氏の著作には関心はあったのだが、どうも取っつきにくさを感じてしまって書棚に手をやるものの又元に戻すことを繰り返してきた。

 時間もたっぷりあるのだし、仕事のストレスもなくなってリラックスのために本を読む必要もなくなった今、これを機会に彼の著作にチャレンジでもしてみようか。

 『ノルウェーの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』・・・・・

 さてどこから始めよう? 

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February 24, 2009

「おくりびと」オスカー受賞で思う

 「おくりびと」が米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。素直におめでとうと言おう。

 「おくりびと」はまだ観ていない。監督や出演俳優を避けてというのではなく、テーマがちょっと私には切実過ぎて避けているのである。いずれというより、余命数年、よくて十数年、それくらいで「おくられ」る側にいる私には楽しめるかな、という気持ちが強い。いい映画だよ、と薦められてもいるがまだ躊躇している。

 それにしても最近日本映画はがんばっている。アニメは好きでないので国民的人気の宮﨑駿をわざわざ映画館まで足を運んで観ようとは思わないが(結局何らかの形で観てはいる)、彼の貢献は大きいだろう。

 良質の映画が作られ、世界的にも日本映画の評価が高まっているようだ。映画ファンとしてはうれしいことである。

 ただ最近映画館に行くことが多くなって感じることだが、意外と入場者が少ないのである。あれほど宣伝しているので恐らく超満員だろうと思って行くのだがほとんどの場合、中央通路そばの前から3分の2ほどのお気に入りの席を取ることができるのである。

 若い人が好むような映画は観ないので、私の周りの問題だけかもしれないが最近次の回まで待たないと観られないなどということは全くない。

 先週、ある副都心に買い物に出かけ、映画街にも行ったのだが、上映中の映画のポスターを眺めるだけで帰ってきてしまった。観たくなる映画がなかったのである。超大作からB級映画まで映画だったら何でもよかった私だが、2時間あまりじっと座っている対価としての映画の質を求めるようになってきているのであろう。

 そんなことを考えていると、いやまだ日本映画の土台はまだ十分盤石ではないなという気持ちもする。日本映画の質の高さが映画の国アメリカで認められたのだから、今年が日本映画の更なる飛躍の年になってほしいと思う。

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February 23, 2009

WBC日本代表決まる

 WBCの日本代表が決まった。
 次の通りである。

 【投手】 ダルビッシュ(日)、馬原(ソ)、田中(楽)、涌井(西)、松坂(レッドソックス)、岩田(神)、岩隈(楽)、藤川(神)、内海(巨)、小松(オ)、渡辺(ロ)、山口(巨)、杉内(ソ)

 【捕手】 城島(マリナーズ)、阿部(巨)、石原(広)

 【内野手】 中島(西)、片岡(西)、岩村(レイズ)、小笠原(巨)、村田(横)、川崎(ソ)

 【外野手】 福留(カブス)、青木(ヤ)、内川(横)、亀井(巨)、稲葉(日)、イチロー(マリナーズ)

 西武 ソフトバンク 広島の5人が外されたが、もともと西武とソフトバンクは候補者が多すぎた。シリーズを戦っていく上でチームの主力を5人も欠いたのでは準備ができないだろう。そういう意味では妥当な選出だ。

 WBCチームの練習や練習試合には連日数万のファンが押し寄せているとか。東国原知事もホクホクだろう。

 総合的な実力はアジアでトップであることは間違いないけれど、何しろ短期決戦、しかも投手次第で試合がひっくり返ってしまうのが野球というスポーツの特色だ。アジア地区の代表になったとしても、世界には日本に拮抗もしくは勝るチームが4~6はある。

 武士道精神で外国に勝つなんて絶対ありえないことだから、自他を科学的に分析していい試合をし、ファンを楽しませてほしい。それで十分である。くれぐれも特攻精神など発揮しないでほしい。

 私自身は「SAMURAI JAPAN」などというつまらないHNをつけた時点で興味が半減してしまっている。

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 武士道なんてものは戦前国民を戦争に駆り立てるために作られたもの。

 日本人の先祖の9割は百姓町人。日本国民が武士道などというものを持っていたわけがない。いまだにオレの先祖は武士だったと自慢気にいう輩もいるが、なんというお笑い。大木の栄養を吸い取って生きるヤドリギのようなもの。ヤドリギがなくても大木は生きていけるが、大木がなくてはヤドリギは生きていけない。

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February 22, 2009

衣食足りて礼節を知る

 「衣食足りて礼節を知る」という言葉をずいぶん聞かされて育って来た。私自身は礼節などとはほど遠いところで生きてきたが、昨今のニュースに触れていて、この言葉を考えてしまった。

 最近、いやに殺人などの凶悪事件のニュースが多い。「礼節」の一番欠けているのがこの種の事件だと考える。人の命を奪うなど人間が一番やってはいけない行為であることは万人が認めることだ。報道の取り上げ方の問題で実際の事件数は減っているという見方もあり私もそう思ってきたが、最近ちょっと懐疑的だ。

 ワーキングプアという言葉が示すように、働けど働けど生活が安心できる状態にならない中、一方では天下り、渡りで巨額の給与、退職金が支払われている様子を毎日のように聞かされていれば、国民一人一人の精神がすさんでいくのは当然の帰結だろう。

 「勝ち組」「負け組」という言葉を聞くことは少なくなってきたが、収入の多寡は個人の能力だという誤った考えが刷り込まれていて、「派遣切り」が問題になり始めた時、そういう考えを展開する向きも多かった。誰か副大臣もそういうことを言って批判された後はそういうことは少なくなってきたし、問題がさらに深刻になってきていることにも起因している。

 このままの社会状況ではこの種の事件がますます増加していくのではないかという不安をぬぐいきれない。どこかが壊れているように思うのである。

 一方、凶悪な事件ではないが、「衣食足り」ても「礼節」とは縁の無さそうな報道もある。アメリカで3大自動車メーカーのトップが政府の資金援助の公聴会に自家用飛行機できてアメリカ国民の顰蹙を買ったことが伝えられた。アメリカは広いし自家用飛行機の利用が都合いいと言えばそうであろうが、国民の常識とずれていたのである。そういう世界に住んでいることが露呈したということであろう。

 日本でも似たことが起きている。前財務大臣のローマでの行動である。彼は国会で首相の横に座り、実質№2であった。その彼がこともあろうに、重要な公務に酒気帯びで出席し、いい加減な記者会見を行い、時間外に美術館に押しかけ、警報がなるような行為をしてしまったのである。運転に支障をきたすことで酒気帯び、酒酔いが厳しく取り締まられるようになってきているが、重大事故につながるから取り締まるのであって、例え取り締まられなくとも酒が人間の判断力を迷わせるのは同じである。こういう方が№2であったことに戦慄を覚える。

 日本には「ハレ」と「ケ」という考え方がある。この「ハレ」と「ケ」という考え方をきちんと行動に変えられる人が「礼節」とも言える。テレビの番組ではこれが完全に崩れているし、横綱のガッツポーズも同じことが言える。

 日本の中で壊れつつある、あるいは壊れてしまったものを取り戻す作業を進めていかないと大変なことになると思う。

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February 21, 2009

中学校の思い出

 一昨夜、何とくテレビ(音無しの部屋はかえって集中力がなくなってしまう。深夜放送世代で「ながら」がしみ透っている)をみたら、タイトルは分からないが農業高校出身のお笑い芸人という人たちが話をしていた。その農業実習の話に耳を傾けていたら、中学校時代のことを突然思い出した。もう50年近く前のことである。未来より過去の方が圧倒的に多い年齢なのでご容赦。

 いまではとても考えられないことだが、いろんな作業によくかり出された。こんなことを今したらモンスターペアレントといわれる人たちが怒鳴り込んで来るもしれない。でも体験学習ということで商店などで働くこともあるようだから、先を行っていたのかもしれないという考え方もできる。

 何しろ山の中の学校で親の職業の多くは農業、林業、大工などの職人がほとんど(意外と先生というのも多かった)だった。そんな土地だから、作業というのは農業や林業に関わるものである。ただ、その仕事が何のためのものかは説明があっただろうけど覚えていない。勉強とは関係ないことは確かであるし、成績とは全く連動していない。そんなことより学校から飛び出して自由な時間が持てることが楽しく少しも苦にならなかった。目的などどうでもよかった。

 学校の田圃というものがあって、何年生か覚えていないがかなり広い面積の稲作を田植えから稲刈り、脱穀までやった。その米は宿直の先生のご飯になっていたらしい。小使い室(用務員室)の隣に宿直室というのがあって、風呂や台所が完備していた。山の中だから食堂などあるはずもなく、にコンビニなどずいぶん後のことだから宿直する先生は自炊していたのだろう。その風呂や台所の燃料はまだ薪でそれを山に入って集めてくる作業もやった。薪や焚きつけ用の杉葉(枝打ちして落した杉の葉)が校舎の横の小屋に山と積まれていた。薪割りまでしたよ。

 小使い室と言えばここでよく若い女の先生と女の子たちがクッキーなどを作っていて、お相伴にあずかったこともあったなあ。

 椎茸栽培用のほだ木運びもやった。これは栽培農家に頼まれたものらしかった。百何十人の育ち盛り、しかも普段農業林業を手伝うことの多い少年たちがやるのだから能率がいい。いくら学校に入ったかは知らないが、生徒会の資金になっていたようだ。

 これは学校用に役立てようとしていたのかもしれないが、少し離れたところの林(学校林だと言われていた)の下草刈りもやった。下草刈り用の大きな鎌を自転車に縛り付けて走ったことを覚えている。こういう鎌はどこの家にもあった。一人マムシに噛まれたというような話も伝わってきたが、実際見たわけではない。おそらく中学生らしい作り話だろう。

 また、私の中学校には「少年消防団」というのがあって、ポンプ操法とか担架操法などというものも練習し、大人の消防団と一緒に出初め式にも参加していた。まだ軍隊調の雰囲気が残っていて、いま消防署などで見るよりきびきびしていたように身贔屓だが思う。

 こんなことを学校で当たり前のようにやっていたのは私たちあたりが最後のようで山の中にも受験戦争の波が押し寄せてきた。いなかを離れ久しぶりに帰ると、外で遊んでいる少年少女の姿を見ることがほとんどなくなった。のどかな時代であった。

 成果主義、実績主義が教育界を席巻していると聞く。教育界を含めて、世の中、余裕がなくなり堅苦しくなっているようだ。せめて義務教育の時代くらいはのんびりいけないものか。

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 昨日は雪が降るかと思ったがまた予報は空振りだった。だが、低気圧の影響で飛行機の乱気流による事故やスリップによる自動車事故が起きていた。人間が浮き上がって天井に穴があくなんてどんな状況だろう。ホラー映画は嫌いだがパニック映画はよく観る。ああいうことかと想像するが、実際5000m上空で起きているとすると当事者の恐怖は大変なものだろう。

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February 20, 2009

混迷する政治

 中川前財務大臣の行動はひどいものですね。公式の会食を中座し、お気に入りの女性記者(ネットでは実名入りで流れています)と会食(ワインを4,5人で3本だそうです)、ヨロヨロにになって記者会見、その後数時間ローマ見物だそうです。体調が悪く大量の薬を飲んでいたと本人は言っているんですが、よくそんな元気がありますね。以上のことは、インターネットで流れている情報ですがほとんど同じことがニュースで流れていますので、ほぼ確かなことでしょう。確かめようがありませんので、そういう噂があるということです。私たちは政治信条は別として、ヒラリー・クリントン国務長官の行動力を同時に見せつけられていた日本国民ですからたまりません。

 また、作家の村上春樹氏が「エルサレム賞」の受賞式での講演が世界的に大きな賞賛を浴びているというニュースもありました。比較するようなことではないかもしれませんがやはり日本人としては考えてしまいます。

 結局中川氏は辞任ということで決着したということになるようですが、国民としては現政府に委ねてしまっているところが多いわけですから、不安だけが増幅していっている状況です。中川氏は次の選挙に立候補するのでしょうか。

 モスクワでの元首相の発言も物議をかもしています。もう色あせてしまった「定額給付金」がこの混迷の原因の一つであることは間違いありませんね。いろいろな情報を総合してみると、もし党議拘束なるものがなかったとしたら、こんなに国民に不人気の政策はとっくに廃案になっていましたね。選挙の支援を受けるために、他の緊急の政策とひとまとめにして、友党のごり押しを受け入れてしまい、首相は二進も三進も行かなくなってしまったのでしょう。ゆれる首相の発言がそのことを示しています。

 党議拘束をなくし、議員一人一人の判断力に任せていくような質の高い政治ができないものでしょうか。困ったことをいろいろやってくれるアメリカですが、政党におんぶにだっこの日本と違い、議員個人個人の意思が尊重される点については評価できますね。

 自民党、民主党の力関係が衆議院、参議院で逆転している状況では例え衆議院優位であっても、法律を修正していくふところの深さを自民党が見せていけば、もっとこの困難への対応も早くできたでしょうし、こんなにも内閣の支持率低下を招かなかったでしょう。

 経済の危機が国民生活を圧迫している今日、こんな混迷状態の政治が続くとしたら、本当に日本は崩壊してしまうんではと恐れます。政策が先だと言って選挙を逃げてきてしまいましたが、実質何も進んでいない4ヶ月でした。選挙は3週間で終わります。選挙で勝った方が緊急政策を打ち出せば状況は変わっていたかも知れません。こんなにだらだらすることもなかったと思います。

 なんだか「麻生では勝てない」から、首相を変えようという話が出ているようです。選挙なしで4人目ですか。一番政局ばかりを考えているのはどこの政党でしょうか。

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February 19, 2009

「火天の城」

 「火天の城」(山本兼一・文春文庫)

 安土城建築にその生涯の最後をかけた大工、岡部又右衛門とその子以俊の物語。織田信長との桶狭間の戦いでの出会いから本能寺の変で信長が討たれ、安土城が炎上するまでを描く。信長の描き方は特記するほど他の本での描き方と変わることはないが、「天下布武」の思想を安土城建築への特別の執念を背景として置くが、この物語はあくまでその命を達成しようとする総棟梁、又右衛門とそれを超えようとする子の以俊、そして職人たちの話である。

 信長の城といえば、清洲城、岐阜城、そして安土城である。そしておそらく天主閣というものが初めて日本に登場した城である。このところ信長に関する本が多数出ているし、安土城の模型作りの週刊の本も出ている。しかし本当のところ安土城に関する資料は少なく、正確なところはよく分かっていないらしい。

 築城後わずかの年月でその役割を終えてしまった城であるが、もし残っていたら尾張出身の小領主の夢を具体的な形にした遺産としてその価値は相当なものになっていたろうと思う。最近、あちこちにあろうはずのないまがい物の城が建てられているが、歴史は歴史である。今残っている形こそが重要である。

 この本では、又右衛門の城造りにかけた情熱、職人魂が中心になっているが、その息子の以俊が棟梁として成長していく姿も丁寧に描かれている。そのあたりの方が私はおもしろかった。

 他に、木樵や瓦職人など多くの職人が登場するし、敵対する大名の乱波(スパイ)による妨害工作なども描かれるが、やはり二人の大工職人の執念こそが中核になっている。だから、スパイの部分などはあまり説得力がない。風景程度である。

 城造りを真正面から扱った小説として、とても興味深く読み終えた。今秋、映画化され公開されるという。広告によれば以俊は娘に変えられているようだ。2時間あまりの時間では、二人を描くことは難しいのかもしれない。どうせCGだろうけどどんな安土城が出現するか楽しみでもある。

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February 18, 2009

麻生首相の功績(2)

 麻生首相の功績の一つ目は日本文化をしっかり学んで身につけることの大切さを教えてくれたことだった。

 その2番目は政治家は世襲してはいけないということをはっきりさせたことである。このことをしっかり学部ことが出来たら、日本の政治の未来は明るいものになるだろう。

 この点、ホンダをポンポンバイクから一代で築きあげてトヨタ、日産と並ぶ自動車会社にした本田宗一郎はえらい。自分の子どもを後継者としなかった。そして会社名に「本田」を入れたことを後悔していた。彼は2代目、3代目は初代を超えることができないことを知っていたのである。

 歴史を遡ってみるといい。初代を超える人物は皆無と言っていい。ときどきそうでもないよ、というような人物もいないわけではない。だがしかし、例えば上杉家9代の藩主で名君中名君と言われている上杉鷹山は養子であり初代と血の繋がりはない。だいたい謙信に直系の子孫は一人もいない。江戸時代の大名は家名が大事であって、血の繋がりはさほど重要でないのである。あの篤姫だって養女を2回も経験し、名目は公家の娘である。そうやってすぐれた人物を登用し、家名を繋いできたのである。

 今、国会議員は世襲ばかりである。親が国会議員であれば、その地盤があるので小選挙区制のもとほぼ確実に当選できる。国会議員資格に試験があるわけがなく、その資質が政治を担うにふさわしいかどうかは全く問われない。親(祖父も含む)が議員であったかどうかだけが問題なのである。そして現内閣をみれば分かる通り、親が首相であったり、有力大臣であった場合、当選した時点で入閣に最も近い存在になるのである。

 中川氏・中山氏も含めて、発足時の18人の大臣中11人が世襲である。県議を含めれば、13人が世襲ということになる。桝添氏のような全くの非世襲はたったの5人しかいない。自民党の幹部に至っては8人中6人が世襲議員である。サラリーマンから親の突然の死であっという間に国会議員になってしまうことだってあるのだ。中にはさせられちゃうこともあるようだが。

 親が立派であればあるほどその子は親を超すことは難しい。でも政治の世界では、身分に関しては簡単に親を超すことができる。徳川家光のごとく、生まれた時から政治家が約束されていると言っていい。しかし、周りを親を取り巻いていた人たちが固めていて、ちやほやされながら育って来ているわけだから、困難に立ち向かう力など育ちようがない。少なくとも這い上がってきた人とは明らかに差が出てくる。

 立つところは違うが、非世襲の桝添氏のような必死さが世襲議員からは伝わってこない。それが代表的な世襲議員である中山氏の今回の不祥事となって表れたのだろう。さらに言うと、現首相は実は5代目だそうだ。いい大人が「オレ」などという言葉を平気で遣うことからして国民をなめていることが分かる。

 要するに、2代目、3代目は初代を超すことができない。それをはっきりさせた麻生首相の功績は海より深く、山より高い。(こう断定するのは如何かとも思うが、顕彰目的の文なのでご容赦!)

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 それにしてもあのクリントン氏の元気ぶりは何だろう。恐れ入る。

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February 17, 2009

麻生首相の功績(1)

 風前の灯となった麻生首相。問題ばかりが強調され、実際それしかないように見えるが、砂丘に落ちたダイヤモンドを探すように必死の探求をすれば功績もあるのではないかと思い、幾回かに分けて努力してみたいと考えた。ただ、私が億万長者になることより大変そうなので、続くかどうかは保証できない。

 それにしても支持率の落ち込みはひどい。昨日発表されたANN系列での世論調査はついに15%を切ってしまった。さらに財務大臣の不始末もその後あったからいつも厳しい結果がでる朝日新聞のそれではもしかして大台を割るのではとも予想される。潔く切っていたら違う結果が出るかもしれないが、もうその程度では焼け石に水か。

 麻生首相の功績(1)

 今日本屋に行ったら、いわゆる漢字本が山のように積まれていた。少なくとも20種類以上はあったのではないか。この空前の漢字ブームの隆盛に大きな役割を果たしたのは、テレビのクイズ番組(やくみつるを初めとする何人かのタレントたち)、漢検などとともに首相の果たした貢献は極めて大きいと言える。

 私たち日本人は、(元を質せば中国文化ではある)漢字の日本文化としての位置を改めて知ることになった。主催者の暗部が公にされ意気込みも萎えてしまったが、この私も一時は漢検にチャレンジしようという気持ちなり、子どもの持っている練習問題に取り組んでみたりもした。二級は楽々合格すると思うんだが。

 そして、本人はさほど感じていないようだが、私たち日本人はあの程度の漢字が読めないのは恥ずかしいことなんだということを学ぶことができた。このところ日本人に欠けていた羞恥心を回復させた面もある。功績があった本人がその意味をいまだ知らず、自慢めいたこともせずせず謙虚な態度で知らぬ振りを通しているのもすばらしい。

 前々首相は「愛国心」を盛んに唱えていたが、麻生首相は自らの恥を晒して実践したのである。これほどの功績を残した首相を歴史の中に見つけることは難しいのではないか。何人かのタレントは輝きを増したりもしたが、漢検は千載一遇のチャンスを自ら不手際により十分生かすことができなかった。

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February 16, 2009

テレビコマーシャルから

 このブログにアクセスを試みる方はそんなに多くない。いやわずかしかいないといっていいだろう。何しろ私は有名タレントというわけではないし、学問的実績を残したわけでもない。仕事の関係で何千人という人と接してきたから、私の名前を知っている方はかなりいると思うがここで明らかにしているわけではない。

 内容も日々感じたことや映画や本の感想を日記風に書いてあるだけである。ブログ名は扇動的だがこれについてはどこかで書いた。

 ところが、一昨日、昨日とアクセス数が突然増えていて、正直驚いた。何があったんだろうと見てみたら、どうも「池と沼の違い」という記事についてらしい。

 あのdocomoのCMは私好みでとても気に入ったので書きたくなったのだが、その一番はあの家族関係である。softbankを意識していることは確かだが、どこにもありそうだし、いい家庭だなあの思わせて心温まるものがあって好感が持てるし、あんな孫娘がいたら楽しいだろうと思う年寄りへのアピール度も高い。

 「池と沼の違い」にも興味がないわけではないが、もう一方のCMで婿らしい男への言葉がけや男の応答も楽しく(こちらの状況はまだ把握できていない)、大人のdocomoらしくあまり奇を衒っていない雰囲気の方に興味が高い。山崎じいさんのような当意即妙な受け答えができるようになりたいものである。

 それにしても「池と沼の違い」に大勢の人が興味を持った方が多いことを知った。自分自身が「何だろう」と思った方もいただろうが、中には子どもから「何?」と聞かれてあわててインターネットに繋ぎ検索した家庭も多かったのではないだろうか。docomoさんしてやったりですな。もしかして新聞のテレラジ欄で話題になるかも。


 お願いになります。私のブログは不親切で見にくいかもしれませんが、ぜひ他のページにも足を運び、ひとりよがりの不平不満にも耳を傾けていただけたら幸いです。

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February 15, 2009

熱冬

 昨日今日のこの気温は何でしょうか。もう暖冬などという言葉では表しきれない高さです。熱冬ですね。

 26℃を超した静岡市を筆頭に全国各地で2月の最高記録を更新したそうです。もう夏の気温です。気温だけ見たら海水浴も可能な次元です。

 でも明日からまた一桁台に逆戻りだとか。たった二日のパラダイスです。でもこれは私にとってであって、氷が割れての被害が出たそうですし、滝の氷結などを観光にしているところは大変でしょう。

 オーストラリアに見られるように北部は大洪水、南部は異常乾燥といったバランスの乱れの拡大が、この日本にもその一つとして気温の乱れとなって表れているのでしょう。1月の降水量の減少と気温の上昇にもみられる地球温暖化らしき兆候を見逃してはいけないと思います。

 あちこちにその被害は出てきています。わずかでしょうけど、オーストラリアの火災は二酸化炭素の放出量を増やしました。森林による酸素生産を減少させました。温暖化の背中を押したのです。

 こういう見方をしていく必要があるのです。

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February 14, 2009

刷り込み

 動物行動学に「刷り込み」という言葉がある。鳥は生まれて一番最初に見た動くものを親と認識し、行動するというそれである。

 人間は鳥とは違い学びながら成長して行くのであるから、そういうことはないだろうが、似たようなことは確実に存在すると思う。

 何しろ生まれてから、就学年齢に達するまで一番多く接するのは親である。親の立ち居振る舞いを見て子どもは育っていく。子どもが学ぶ道徳規準、行動基準はいつも見てきた親にあるあるのである。

 実際、暴力をふるう子どもの親は暴力的な振る舞いをしていることが多い。悪口を言う子の親はよく人の悪口を言うし、言葉遣いの悪い子の親はやはり言葉遣いをする。そういう傾向がある。もちろん、「反面教師」という言葉があるように逆になることもあるが、そういう傾向は認めざるを得ない。

 言葉遣いの丁寧でしっかりした親の元では言葉の善し悪しは常にチェックされているし、またそういう言葉を身近なものとして蓄えていくことができるが、そうでない場合、知ることすら出来ない。暴力についても同じであるし、悪口をよくいう親の元では悪口は忌み嫌うものだという感覚さえ育たないだろう。

 最近、真っ昼間出歩くことが多くなった。去年までは仕事中で休日くらいしか昼間出歩くことはなかったが、今年は今までと違う場面に遭遇することが多い。今日もバス停で待っていたら、1~3才くらいのふたりの子どもを連れた母親が後ろに並んだ。子どもにしっかり注意を向けきちんとしつけていたが、突然携帯で話し始めた。なにしろ携帯での会話は大声が多い。耳を塞いだって入ってくる。そしてその言葉の悪いこと、幼稚なこと。中学生並みの話である。

 その言葉を聞いて子どもは育っていくんですよ。「子は親の鏡」です。で、上記のことを書いたんです。

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February 13, 2009

プリンタを新しくしたけれど

 今まで使っていたプリンタが壊れてしまったわけではありませんが、A4までしかプリントできませんでしたので、写真用に新調しました。

 今までのプリンタはどちらかというとWebやテキスト文書、ハガキなどレーザー並のスピードで印刷できますから大変重宝していたのですが、やはり色が十分出ませんし、染料インクでしたから乾燥するまで約1日ひろげておかなくてはなりません。その点顔料インクは10分程度で重ねられるので重宝です。我が家はA3を何枚もひろげておけるほどの余裕はありませんから。

 写真専用ですからそう大量に印刷することはないのですが、本体そのものはさほど高価ではないかわり、インク代が馬鹿になりません。これは最近の傾向のようですね。A3十枚でインク交換です。カメラやさんに頼めばA3で2000円くらいでしょうから、それ比べれば安いし、何しろ趣味ですから自分でやるところに意味があります。

 何枚か印刷したのですが、やはりモニターの色と違いますね。ずいぶん濃くプリントされます。この調整が難しそうです。モニターとプリンタの色をシンクロさせる方法があるようですが、これがまた難しそう。色を測定する機器も必要なようです。

 そこまではやる気が今のところありませんが、モニターの明度を少し明るめにすることで誤魔化すしかありません。

 パソコンは全く独学でマスター?したので、解説書を見ながら操作するのは慣れているのですが、最近は根気がなくなって来ましたのでなかなか進捗しないのが悩みの種です。時間はたっぷりあるのですが。

 手に入れたのはエプソンのPX-5600です。ただ、インクを近くのパソコン専門店や家電量販店で扱っていないのです。これも悩みの種です。無駄に使うな、ということでしょうか。

 ストレスにならない程度に悩むのは老化防止にいいでしょう、と思っています。

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 最近の政治ひどくって、コメントする気にもなれない。日本の経済立て直しは世界に比べてすでに半年くらい遅れているように感じる。私たちが選んだわけではない能天気な首相や政府に生活がおびやかされているこの国の国民は不幸というしかない。 

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February 12, 2009

「古城の風景1」

 「古城の風景1」(宮城谷昌光・新潮社文庫)

 本屋に行ったが目的の本が見つからず、何か他におもしろそうなものはないかと探していたら、これが目に入った。宮城谷昌光という作家はもちろん知っていたし、この作者は古代中国を中心に書いていることも知っていた。残念なことにそのあたりは私はほとんど興味がないのである。だから、全く読んでいないと思う。

 ただ、中世の古城というものには若干興味があったし、特に三河の戦国時代には地理的なものもあってほっておけないな思い、購入となった。

 三河は徳川家康の父祖の地であり、元康であった時代に戦に明け暮れた土地である。また、江戸幕府を支えた多くの親藩・譜代大名・旗本の出身地である。戦国時代のある時期、桶狭間から本能寺あたりまでこのあたりは麻のごとく入り乱れていた。「古城の風景1」はこの時代前後の古城の人間模様を描いている。

 「古城の風景」はその様子を観光案内風に紹介するものではなく、今は忘れられたようになっている城址を探し、その城主がいかなる運命を辿ったかを見つけ出していく、人間風景である。城というと姫路城や熊本城なものを思い描くが、ああいうのは安土城以後のことであり、今残っている多くは江戸時代になってできたものと考えてよいだろう。この本で触れられた時代は大きな館に防備を強固にした程度のものだろう。

 三河地方にはいろいろな事情(妻の実家への通過地でもあった)で足を踏み入れることはあっても今は特に関係のある知人がいるわけではないが、読んでいて待てよと思った。学生時代著者の出身地近くから来ていた忘れ得ぬ先輩・三河出身では唯一の知人がいた。卒業前に事故で亡くなってしまった。彼も文学に造詣が深く(文学部だった)、優れた才能の持ち主であった。何度も下宿にお邪魔したものである。そんなことに思いを馳せながら読んだ。

 封建領主を敬ったり、城をありがたがったりする気持ちはさらさらないが、我々はこういうものでしか具体的・直接的に歴史を知ることが出来ない。要はそれらをどのように見るかである。

 「古城の風景」は5巻まで出版されるようである。私が訪れたことのある城のいくつかも書かれるであろう。

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February 11, 2009

今年は黄砂が多いという

 今年は黄砂が多いそうだ。

 オーストラリアの森林火災は未だ衰えを見せていないようで、物的人的被害は大変なものである。この火災の一番の原因は乾燥だそうだ(一方北部では大水害が起きているという)が、中国も50年に1度という乾燥が続いているという。

 確かに衛星写真をみると中国西部に雪がない。このあたりは黄河上流で黄砂の供給源である。西日本には今日あたりその黄砂が襲ってくるという。

 東日本ではあまり黄砂は話題にのぼらないが今年は気をつけた方がいいかもしれない。空を見上げると青空はかすんでいるといった光景が頻繁に起こるでは困ったものだ。

 花粉症をはじめ、呼吸器系の病気にも影響がありそうだということなのでマスクの売れ行きはよくなるかもしれないが、こういうマイナスの方向を向いたものはいただけない。

 それにしても今年はおかしい。雪が日本でも少ないし、乾燥しているのか火事も多い。私の家のそばに消防署があるが今年は出場が多い。

 こういう風にバランスが崩れているのが異常なのであろう。これから何が起こってくるのだろうか不安になる。

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 深夜高速バスの恐怖

 ある事件の報道を聞いて思い出した。もう30年以上も昔のことである。それ以降ほとんど自家用車移動に変わったので深夜バスに乗ってはいない。

 何しろ運賃が安く、眠っているうちに到着するので何度か利用していたのだが、当時は座席指定で、座席がとても狭かった。私の体重は90kg位だ。バスだからSAで停車した時以外は移動できない。7,8時間は座ったまま、横になったままの状態が続く。深夜だから照明も暗い。だいたいは満員でないのでゆったり寝てこれるのだが、その時はほぼ満員だった。

 遅れて乗車した私は席について驚いた。隣は若い妙齢?な女性。私が窓側。昔のことだから私も若い。しかも寝相の悪さは折り紙付き。寝てしまってはどんな状態になるか責任がもてないし、着いたらそのまま職場に直行しなくてはならない。恐怖の8時間が始まった。

 しゃべることもできず、本を読むこともできず、寝ることもできず、何にもできずに体を動かさずにじっとしているしかない恐怖の8時間であった。隣の女性も身動き一つしなかったような気がする。

 今の高速バスはどうなっているか全く知らない。

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February 10, 2009

池と沼の違い

 docomoのコマーシャルで孫娘が祖父に携帯で「池」と「沼」の違いを質問するものがある。この孫娘ついに買ってもらったんだ。

 softbankのコマーシャルがそろそろ鼻について来ていたが、どうもそれに対抗しているのが見え見えでもある。でも、じいちゃんと孫というのはいい設定だ。

 さて、その回答だが、カッパがいるかどうかということらしい。孫娘はあきれて母親に訊くのだが、その答えがやはりカッパがいるかどうかだという。きっと母親もその質問をしたのだろう。母親はそう信じてきたに違いない。いい三代である。

 こんなことをしているとdocomoの宣伝になってしまうが、私が疑問に思ったのは、カッパがいるのはじゃあどっちかということである。

 広辞苑や大辞林で調べても載っていることはあるまい。そこでgoogleで検索してみることにした。「カッパ池」と「カッパ沼」のどちらが一般的であろうか、ということである。上がってきた件数の多い方にカッパがいるのである。

 予想としては「沼」が多そうである。

 早速検索を試みた。その結果が次である。

 「カッパ沼」は 88,000件
 「カッパ池」は242,000件

 検索で引っ掛かる件数はその時々でずいぶん違うのであまりあてにならないが、それにしても「池」がこんなに多いとは思わなかった。怪奇動物の一つ、カッパがいるのは「沼」がふさわしいとおもうのだが。やはり私はtotoも馬券も買わない方がよさそうだ。

 山崎じいさん、カッパがいたら「池」ですか、「沼」ですか。コマーシャルの言葉をそのまま考えると、「池と沼の違いは?」「カッパがいるかどうかだ」で順序からいって池にカッパがいるということともとれますが。

 実際辞書などで調べてみても「池」と「沼」の区別は曖昧である。感覚的に見てみると、中央部まで植物などが育っているような状態のものが「沼」と言っていいかもしれない。家の庭などのものはもちろん「池」である。ひっくるめて「池沼」ということもある。

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February 09, 2009

オーストラリア森林火災

 気温の低下、降雨により消火されたところもあるが、まだ完全に衰えていると言えず、大変な被害を起こしているのがオーストラリアの森林火災である。

 いうまでもなく今オーストラリアは真夏であるが、それでもメルボルンの最高気温の46.4度というのはすごい。すでに東京都の面積の1.4倍ほどが消失しているようだ。一部人為的なものもあるような話も聞いたが、多くはその暑さ、乾燥、強風が起こした自然災害である。

 驚いたことは、その人的被害である。本日昼までに128人の死者が報道されている。いわゆる山火事というのは消火に時間がかかり物的被害が大きいことは知っていたし、例え住宅地まで火が来ても十分時間があって人的被害というものは少ないものだと思っていたが、この被害の大きさは何だろう。

 町がほとんど消失した所もあるといっても逃げる時間は十分あったと思えるのだが、如何に火のまわりが速かったということか。高温、乾燥、強風が揃うとこんなことも起こすのである。

 それにしても46.4度というのはすごい。日本での最高気温というのは41度前後のはずで、局所的には、真夏のプールサイドとか砂浜、45度を超すことは普通にあるが、そう考えればオーストラリアでは部分的に50度を超すこともあったはずである。もしこのまま地球温暖化が進めば、こういうことが頻繁に起こるに違いない。

 森林火災は何年かすれば自然に回復するもので、自然破壊という面ではそう心配することではないと思うが、こういうことがあちこちで起こり、回復力の限度を超えると一気に破壊が進行すると考えられるので警戒していく必要はあると思う。

 でもまずは早く鎮火し、被害がこれ以上広がらないことを願うばかりである。
                       (13:45)

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February 08, 2009

「再発」

 「再発」(仙川環、小学館文庫)

 謳い文句には「パニックサスペンス大作の登場だ。」となっているが、内容はそんなに大げさなものではない。でも引きずられ一気に読み終えてしまった。私の趣味に合っているのだろう。

 主な登場人物は、開業医の成田真澄、獣医の渡良瀬敦彦、県立医大の助教の小杉亮子。彼らは高校の同級生という設定である。このあたりは非常に物語に都合よく出来ていると言えそうだが仕方あるまい。

 その男女3人の恋愛感情が大きな要素となって、絡んできて事件を思わぬ方向に運んでいく。老研究者や真澄の祖父なども事件の発生や解決に複雑に絡んでくる。

 何が「再発」なのかはここに書かないが、そういえば子どもの頃よく言われたな、と思い出した。最近ほとんど聞かなくなっていたが、50年ほど前に日本では絶滅していたのかと知ることが出来た。いやいや最近のブームを考えると危険な面もあるのかもしれないなどと不安を感じてしまう。

 主人公の真澄は突然父の後をついで地方の町で内科医院をはじめるのだが、やる気は全くない。その彼女は従姉妹の死によって変革していくのだが、必然性がしっかりしていて納得出来るし、亮子との女性としての確執もよく分かる。全体に無理が少ないのがいい。他の登場人物の描き方も自然でいい。

 医学的な説明も医学書のような難しい記述がなく抵抗なく読める。作者は医学系の大学院を出て、新聞社で医学や介護の取材をしていたようだ。なるほど分かりやすいわけだ。中にマスコミが正義面してヒステリックに叫ぶシーンがあるが、いつもそれを苦々しく思っている私はまさにその通りと手を挙げたい。

 作者は他にもこれに類する作品を書き上げているよう。「感染」くらい読んでみようと思う。

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February 07, 2009

アナログとデジタル

 アナログとデジタル、を厳密に分けているわけではなく極めて広くあいまいさをたっぷり残して考えているのだが、私たちの世代はどうもその中間にぶら下がっているように思う。

 だいたいが世の中そんなに厳密に分けられるものでなく、例えばカメラにしたってデジタルカメラとフィルムカメラの違いはセンサーが違うだけでそこに至るまではほとんど違いはなく、光を処理するのはマニュアル処理する以外はコンピュータがやっている。

 コンピュータだって入力はタイプライターを引き継いでほとんどが人力である。こんな話をしているとボロが出そうなので止めるが、要するにかなり年齢が行ったところでデジタルなものが大量に入ってきたことで右往左往しているところがあるということである。

 カメラについていえば、今はほとんどデジタルカメラに取って代わられ、フィルム(銀塩)カメラをすぐに手に入れようとするなら余程大きなカメラ店、中古販売店を領する位しか方法はない。後は取り寄せか通販だ。新しい機種などほとんど発表されない。

 そんなわけで私もデジタルカメラだが時々フィルムカメラを持ち出したくなる。結局はデジタルの便利さが勝ってしまうのだが、離れることはできない。あののんびりさがいいのである。

 コンピュータを最初に利用して文書にしたのは20年以上前で決して遅いわけではないが、キーボードに向かうだけではつまらなく、毛筆や万年筆で字を書きたくなる。だから私のカバンにはいつも万年筆が忍ばせてある。万年筆のキャップをねじって外し、おもむろに書き出す気分は最高である。

 要するにデジタル人間になれない自分がいるのである。二つの世界を生きている自分たちは別の意味で幸せであると思う。

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February 06, 2009

SHOW THE FLAG

 国会は荒れ模様。

 前回総選挙は「郵政民営化」に特化された選挙であったことは誰もが認めることである。そこで与党は予想以上の議席を得てしまった。そこで与党は争点にもなっていない、国民に問いかけもしていないことを次々に立法してきた。

 国民は困ってしまった。こんなはずじゃなかったよということで、前回参議院選挙では与党を大敗させた。それが今の政治状況。衆参のねじれで衆議院であれほど議席を持ちながら、好き勝手が通用しなくなってしまった。この状況は参議院の選挙制度のため少なくとも後4年半は続く。

 参議院で大敗を喫したすぐ後に衆議院選挙を実施し勝てば直近の民意ということで、政権の正当性を主張できたのにまた負けるのではないかという恐怖感から解散できず、顔をすげ替えることで延命を図ってきた。そこに追い打ちをかけたのがこの大不況。もう二進も三進も行かなくなってしまった。

 そして大派閥の分裂含みや首相のくるくる変化する主張、「郵政民営化」の見直しなど大混乱が起きている。特に「郵政民営化」にあたってその内閣の重要な位置にいた現首相がそれによって担ぎ上げられながら、その土台を否定しているのだから話にもならない。

 さらにこのところ選挙後の政局を云々する向きがある。選挙の結果で政党や議員がが離合集散をするというのである。冗談ではない。今の選挙制度は政党本位にするということではじめたのではなかったか。この政党だと選んだ議員が勝手に他の政党に鞍替えしたり、くっついたりされたりしたら国民は何を基準に投票したらいいのか。

 「SHOW THE FLAG」とアメリカに言われたら、軍隊を派遣することだと大慌て(実は口実が出来たと喜んだのだが)したことがあったが、その本来の意味「立場を明確にする」「旗幟を鮮明にする」に立って選挙に臨んでほしい。途中で政党を離脱したり、逆に入党する場合はまず議員を辞職し選挙をやり直すべきだ。そういう曖昧さがあるから、こういうことが起きる。現首相だけでなく、入閣している方もいる。

 民主政治にとって一番怖いのは政治に愛想を尽かすことである。次に待つのは恐怖政治、独裁政治である。

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February 05, 2009

立春も過ぎ

 春は名のみの風の寒さや
 谷の鶯 歌は思えど
 時にあらずと 声も立てず
 時にあらずと 声も立てず

 氷解け去り葦は角ぐむ
 さては時ぞと 思うあやにく
 今日もきのうも 雪の空
 今日もきのうも 雪の空

 春と聞かねば知らでありしを
 聞けば急かるる 胸の思を
 いかにせよとの この頃か
 いかにせよとの この頃か

 言うまでもなく「早春賦」である。昔の詩はたいしたものでこんなに簡潔な言葉で今の季節と人々の思いを歌い上げている。まさに「春は名のみ」でまだまだ春は先だ。でも立春と聞くと肌を刺す風は冷たくとも心は少しずつ浮き立ってくる。

 立春、立夏、立秋、立冬とあるが、一番人々の心をゆさぶるのは立春だろう。そのことは、それぞれの前日はいずれも「節分」であったはずだが残っているのはこの立春だけだということからも分かる。

 ところが最近自分自身こういうことにずいぶん鈍感になってきている。今年の節分の3日の夜は用事で高速道路をETC割引を目途としたトレーラー群に挟まれヒヤヒヤしながら走行していたということあるが、一つには日常生活に季節がなくなってきているように思う。特にリタイアした今年は寒かったら冬眠という状態だからいっそうである。

 もう一つは、この詩にあるような冬の象徴である「雪」がなくなったことである。東京に住み始めておよそ40年になるが、はじめのうち雪かきしながら早く春が来ないかなあと嘆いていたその「雪」がこのところ全くないのである。楽にはなったが心配でもある。

 最近、あちこちの公園などで、春を告げる樹木「ロウバイ」や「マンサク」などを植え育てるようになってきた。これらでも春を感じることが出来るが、もう出来上がってしまっていて、道すがらの雑草の中、春を見つけた喜びを感じることは少なくなってきた。2週間ほど前、ついでではあるが「ロウバイ」の写真を撮ってきたが、時間が時間だったのでちょっと残念な出来であった。

 今日あたり、天気さえよかったら、カメラにマクロでもつけて近所を歩いてみるか。

                              (05:45)

 

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February 04, 2009

大河ドラマ「天地人」の疑問

 大河ドラマ「天地人」を観ていていくつか疑問や不満を感じたことがある。

 その一つが年齢。聞き落としているのかしれないが、どうも年齢がはっきりしない。前回兼続は岐阜城に信長への使者に加わり、その翌年長篠の戦いで織田徳川連合軍が武田軍を破るという設定だった。長篠の戦いがあったのは1575年である。兼続が生まれたのは1560年だから、使者には14才でなったことになる。

 あの時代だから14才で使者になってもおかしくないが、信長と対面した時の14才らしさは残念だが見ることはできなかった。妻夫木君が最初に登場した時のエピソードは武田信玄の死を推理することだったが、信玄は1573年に死んだことになっている。そうすると妻夫木君が最初に登場した時は13才であった。

 一方、上杉景勝は1555年に生まれているから、北村君が最初に登場した時は18才。13才の少年が18才の少年、しかも主である少年に恋の手ほどきをしていることになる。妻夫木君と北村君の実年齢は29才と40才、いろいろな面でアンバランスを感じる。

 まあドラマだからどうでもいいといえばどうでもいいのであるが、妻夫木君の前にもう一人子役を入れたら分かりやすくなったと思うが、年齢を曖昧にすることでかえって主題が薄くなっている気がしてならない。景勝と兼続の主従関係、謙信との関係などに説得力が伴ってこないのである。あの名場面、景勝が兼続を雪の中で背負い歩く感動の場面がどこかへ行ってしまっている。

 妻夫木君と兼続の間にしっくり感が感じられないと同様なことを北村君と景勝の間にも感じるのである。青年らしい初々しさに欠けるのである。少なくともこの時点では兼続は謙信に対する畏敬の念と景勝への信頼によって生涯を景勝にかけて行くのであるが、景勝が引きつけるだけの魅力を表現し切れていない。何しろ暗すぎる。景勝にも兼続にもその片鱗を見せてくれればいいのだがそれがない。

 子役がやっている時には、この子は違うというものがそれでも表現できていたのに、役者の実年齢よりあまりにも離れた役柄なので、幼稚さだけが、バランスの悪さだけが目立ってしまう。

 以前放送され「新撰組」は若い役者が多かったが、実年齢ととても近い役だったので、これが本当の「新撰組」と改めて感動したものだが、「天地人」は残念である。配役にもう一工夫あってもよかったのではないだろうか。

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February 03, 2009

docomoのあのCMが気に入っています

 映画・テレビのジャンルというのもおかしいかもしれないが、コマーシャルの話である。

 山崎努がたき火をしていて、孫娘が携帯をねだっている、あれである。いい雰囲気だなあと思う。

 私の父方の祖父は一緒に住んでいたが、早いうちになくなって記憶がほとんどないし、母方の祖父は私が中学の時なくなったのだが、遠く離れていたので一緒にいた時間は記憶に残っている範囲では全て合わせてもおそらく一週間に満たないと思う。しかも怖くて近づくのさえためらっていた。

 だから、「携帯がほしい(私の場合は携帯などなかった時代ではあるが)」なんておねだりしたことは一度もなかった。母方の祖父は怖かったが、見栄っ張りだったからいろいろ買ってくれたが、こちらから言ったことは全くなかった。

 祖父と孫娘のああいう関係をぜひ自分自身が体験したいと思っているが、それには最低でもあと15年くらいは生きなければならない。これはある意味大変なことである。

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 そういえば山崎努は昨日BSでやっていた黒澤明の「天国と地獄」で犯人役だった。この「天国と地獄」などを観るとやはり黒澤明はすごい監督だったと思う。テーマも極めて現代的だ。

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 残念だけど私は黒沢作品をリアルタイムでほとんど観てはいないのです。なぜなら私の近くにあった映画館は日活系と東映系しかなかったのです。リアルタイムで観ることになるには「天国と地獄」から数年の年月が必要でした。 

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February 02, 2009

「宇宙はささやく-現代宇宙論から人間を考える」

 いつも枕元においてあって、眠れない時などに目を向ける本の一つがこの「宇宙はささやく」である。布団の中で読む本だから、もちろん文庫本、ハードカバーでは手が疲れてしまうし、ページを繰るのにも難渋してしまう。

 「宇宙はささやく-現代宇宙論から人間を考える」(佐治春夫 PHP文庫)

 著者は基礎数学、理論物理学を専門とする理学博士で文庫発刊当時は県立宮城大学教授だそうだ。調べてみると現在は鈴鹿短期大学学長らしい。「ゆらぎ理論」の第一人者とのことだ。

 PHP文庫ということで本来ほとんど目を向けることのない出版社だが、題名に惹かれて数年前に購入したものだ。

 本書は12の章で構成され、それぞれ○月のお話という形になっている。各章のテーマは次の通り。

 ・”真昼の星”を見る
 ・宇宙と原子と私たち
 ・時間と永遠を考える
 ・数の不思議の世界へ
 ・私人の心と科学の目
 ・ことばの宇宙を旅する
 ・詩人・金子みすゞが描く宇宙
 ・宇宙に”おわり”はあるのだろうか
 ・数学の世界をかいま見る
 ・未知の世界に問いかける
 ・はるかなるETを求めて
 ・科学と神話とメルヘンと

 著者は科学者と芸術は同じだという視点から、話を進めていく。だいたいの始まりは宇宙論や数学だがそれを詩人の目で見ていくのである。登場する詩人は宮沢賢治、金子みすゞ、芭蕉、蕪村など。さらに音楽。著者のふところの深さに恐れ入る。

 そして宇宙人捜しへ(SETI)

 実はとても高度な内容だがそんなことを少しも感じさせないで、わかったような思いにさせてくれる。

 口絵写真の最後に、65億km(太陽地球間は1億5000万km)の彼方から見た地球、というものが載っている。直径1mmに満たない地球が白くポツンと写っている。65億kmなんて宇宙全体から見たら目と睫くらいなものでしょうけど、これが地球の存在なのだ、などと考えてしまう。この写真は私のお気に入り。

 心がおだやかになる本です。

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February 01, 2009

政党交付金

 2007年度の政党交付金は次の通りである。日本共産党は受け取っていない。

 自民党 165億9583万7000円
 民主党 110億6382万4000円
 公明党 28億0607万円
 社民党 9億6822万3000円
 国民新党 3億2940万3000円
 新党日本 1億7863万9037円

 これは国民の税金によって賄われている。国会議員には歳費として公務員としては最高額が支給されていることは以前書いた。歳費以外にもいろいろな名目で手当を受け取っていてこれも並の金額ではない。

 2008年度の政党交付金は総額で約320億円、歳費は約158億円だそうである。政党交付金の額が異常な高さであることが分かる。この約320億円はどう算出されるかというと国民一人あたり250円×人口である。

 政党交付金は各党に議員数や選挙の得票数に応じて配分されるが、各党の収入の大部分を占めているようだ。

 本来、政党交付金は企業献金の悪弊を絶つために実施されたものだが企業献金はまだ続いている。

 アメリカ大統領選でオバマ候補は多額の寄付を集めたと話題になったが、「塵も積もれば山となる」で少額の寄付の集積らしい。就任式に集まった200万人もの人たちが一人3ドル(250円)の寄付をしていたとすると、それだけでも600万ドルである。約5億円ということになる。こんな風に集めたものだろう。わずかな寄付であるかもしれないが自分が支持した人が当選したとしたらほっておいても祝賀気分になるのは確かであろう。

 日本の政治家は歳費等を含めて、何にもしなくとも国会議員一人あたり1億円以上手に入れることになる。ある政党に反対、支持していなくてもその政党に自分が納めた税金が行くとすれば、これは納得出来るものではない。思想信条の自由に反して、強制的に自分の財産を徴収されていくのだからこれはおかしな仕組みである。

 政治にお金がかかるのは仕方がない。だからといって紐付きのお金はよくないことも確かだ。だから、こんな方法はどうだろうか。自治体の役所、支所に各党別の募金箱をおいて無記名の寄付を募る。月一回各党の会計責任者を集めて公開で配布する。そうすれば、気楽に募金もできるだろうし、集める方も必死に国民のことを考えるだろう。

 まあ方法はどうでもいいのだが、要は政治が誰のためにあるのか、常に政治家は緊張感をもって行動してほしいのである。政治家は公僕であることをこそ肝に銘じるべきである。 

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